世界/経済・・



2013年04月05日
「世界史」マクニール


「世界史」
著者 ウィリアム・H・マクニール
訳者 増田義郎/佐々木昭夫
発行 中央公論新社 2001年

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(問題意識)
神の創造はいつのことか。人々が狩猟生活、農耕生活、近代的工業のもとでの生活と生活様式を変えていったときに、人々と神との関係はどう変わっていったのか。

参考記事 狩猟・農耕・近代的工業、神の創造

(読んだ感想)
面白く読んだ。西欧文明が圧倒的な力をもつまでの道のりがわかった。「神との格闘」は、西欧人をしていち早く、多様性を身に着けさせた。中国文明、インド文明、イスラム文明など他の文明は、西欧文明ほど知的文化の受け入れ柔軟性をもてなかったために、遅れをとってしまった。

私の問題意識に、よく応えてくれた内容であった。

以下に、問題意識に基づいて、内容をまとめてみた。

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1)シュメルの神殿ー神の創造

農耕の始まりは、安定な水の供給のための大規模な灌漑工事と、季節の予言のための天文学の発達を促した。大規模工事は工事の指揮官としてのエリートを生み、天文学は天体の精巧な観察と、季節を予言できる技術を持ったエリートを生んだ。彼らエリートは神官として、人格化された大きな自然の力、すなわち神と共に神殿に住まい、神が人間に厄才を及ぼさないように神の世話をし、怒りをなだめる役割を担った。

「三千年の間、メソポタミアの神官たちは、シュメル人が文明の歴史の始まりに考え出した観念と儀式にさらに磨きをかけつづけた。さらに、数多くの未開民族が、シュメルのパンテオンの偉大な神々が、実際にこの世を納めている、と確信した。その人々の中には、東ヨーロッパや西アジアの草原の古代住民がいて、その子孫たちーギリシャ人、ローマ人、ケルト人、スラブ人などーは、空、雷、太陽、月などを崇拝しつづけたが、それらの神の力と性格は、古代シュメルの思索から生まれたものなのである。」(P32)

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2)イオニアのポリスー理性による自然の理解

北から侵入してきたドーリス人にギリシャ本土を追われたギリシャ人は、小アジアの、後にイオニア地方と呼ばれる一体に居住地を作り、自治的な都市国家、ポリスを形成した。血縁集団の集まりとしてスタートとしたポリスでは、暴力は減り、人口が増大し、土地が不足を告げ、定着農耕が当たり前になった。首長たちは、はじめ王の下での話し合いで問題解決を図っていたが、全員出席の会議が開かれない期間は問題を処理する行政長官に問題解決を任せるようになった。行政長官の権限は次第に大きくなっていった。ポリスの住民は、自分たちのポリスを守るために自ら兵士として戦争に参加し、それゆえなみはずれて生命感に満ちた個人の自由の意識を身に着けるようになっていった。

「探究心の強いギリシャ人は、どうやって世界が創造されたか、また惑星が周期的に天空の運行を止め、しばらく逆行してからまたもと通り前進するのはなぜか、といった根本問題に関し」「創造力をはたらかして彼らの理性の力を用い、世界の現象を説明しようとした。神々に関しての矛盾しあった、根拠のない物語に不満を感じて、彼らは思い切って神を全然消去し、大胆にもそのかわりに自然の法則を、宇宙統合の力として持ち出してきた。」・・「宇宙はなにかある神の人格のむら気によって治められるのではなく、非人格的で不変の法則によって規定されるのだ、というイオニア人の考え方は永遠のものとなった。」(P127、128)

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3)ヨーロッパの大航海時代、ルネサンス、宗教改革ー文化的多元性の出現

コロンブスのアメリカ発見(1492)、バスコ・ダ・ガマのインド洋横断(1498)、マゼランの世界一周(1522)・・・ヨーロッパ人は積極的に新世界へ植民し、貿易を行った。その過程で、彼らは、世界中の新しい技術と知識をヨーロッパに集め、自らの技術と文化を豊かにし、同時に、世界の多様さに関する知識を増大させていったのである。

異教的な古代の知識と技法と優雅さを再生させようという理想を掲げた人々は、ヨーロッパの過去のギリシャ=ローマ的構成要素を賛美し、ルネサンスの中心をなした。一方、聖書の線に沿って宗教改革を熱心に行おうとした信者たちは、西欧文明のユダヤ=キリスト教的な要素から主な霊感を得て宗教改革を主導した。人間の技能、能力、自由な活動に裏打ちされた美の理想を追求するルネサンスの活動は、人間の能力の多様さを気づかせ、増幅させた。宗教改革は、反宗教改革の活動を誘起し、その対立がヨーロッパ人の知的多様性を拡大させた。

「1500年と1648年の間」に、「普遍的な真理を発見し、強制するのではなく、ヨーロッパの人々は、意見を異にするという点で意見を一致させることが可能だ、ということを発見した。知的な多元論が、ヨーロッパの土壌に、それ以前のいかなる時代に比べても強く根付いたのである。」(P376)

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4)ヨーロッパのアンシャン・レジーム −神に頼らない問題の解決

ヨーロッパ全土を巻き込んだ30年戦争が終了すると、教会と国家両方の指導者に新たな傾向が現れた。それは、神学的な、あるいはその他の真理を全面的に人々に押し付けるようなことをしなくなったことである。訓練された専門家集団の力と活動を認めるようになった。専門家集団は、みずからの活動の場所を社会のあらゆる戦略的な拠点、兵舎、説教団、法廷、大学、役所や銀行、特許会社で得ることができた。

ヨーロッパの人々の間では、矛盾や意見の相違を許容する寛容さが現れ、これまで非難と破壊の応酬を招いていた形而上学的な確実性の追求は陰をひそめ、中庸、均衡、礼節といったものが尊ばれるようになった。この結果、いくらか論理的厳密さは失われることになったが、真理や道徳の問題に、新たに専門化し細分化したアプローチを行うことができるようになった。

国家間の争いは、武力に訴えるのではなく法的な手続きや議論に重きを置くようになった。イギリスでは、人々の利害が反映しやすい議員内閣制が生まれ、国家財政の増大と安定を可能とする国債発行が行われた。農業にも変化があった。穀物の4倍のカロリーを持つジャガイモの普及は、人口の増加を可能にした。科学技術は進歩し、製造過程は変更が加えられた。この頃活躍した科学者は、ヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイ、そして数学・哲学の分野ではルネ・デカルト、バルフ・スピノザ、トマス・ホッブスらである。そしてアイザック・ニュートンは、その著書「自然哲学の数学的原理」で最も大きな影響を与えた。

天体の運行が、数学の単純な公式で表される「万有引力」で説明できることは、奇跡を起こす神の神秘性を真っ向から否定するものに思えた。人々はニュートンの自然宇宙観を受け入れた後も、キリスト教徒でありつづけた。しかし、神が毎日の人間の問題に介入することをもはや当然と考えなくなった人々は、新たな政治理論を模索した。公衆と統治者の社会契約により国家が成り立つとする考えは、トマス・ホッブス、ジョン・ロック、ジャン・ジャック・ルソーらによって唱えられ、深められた。

「豊かさ、多様性、力強さ、および目の前に躍り出てくるいかなる新奇なものもつかみ取ろうとする精神などが、アンシャン・レジームの時代のヨーロッパの文化生活の特色であった。」「世界制覇に向かう西欧の興隆は明らかにもう始まっていた。」(P437)

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5)産業革命、民主革命ー優位に立つヨーロッパ文明

「1870年ごろまで、産業革命の中心地はなんといってもイギリスであった。その後東ではドイツ、西ではアメリカ合衆国が、イギリスの産業革命に追いつきはじめた。1789年以降、民主革命の主な中心地はフランスであった。この国では王政下の官僚政府が欠陥を露呈し、それに民衆の批判的気質が結びついて激しく燃え上がり、それまでの政治制度を倒して国民の理性と意思(と考えられるもの)に従って作りかえようとする努力が開始されたのだ。」(P479)

「全体としてみた場合、産業革命は西欧世界の富を著しく増大せしめ、衛星、健康、快適さといったものの水準を根本的に引き上げた。」(P487)
「産業革命の第二の基本的特徴としてあげられるのは、人口の加速度的な増加である。1800年における全大陸の総人口はおよそ一億八七百万人であった。1900年には、総人口はおよそ四億に達している。」「こうした人口の急速な増大をもたらした主な要因は。死亡率の急激な低下であったが、その原因となったのは、ひとつには医学や公衆衛生の改善であり、ひとつには食料供給の拡大であり、さらにまた人々の物質的な生活面が総じて改善されたことである。」(P487、488)

民主革命は、「政府とは実際に人間が作ったものであって、多かれ少なかれ計画に従って変えたり操作したりできるものだということを疑いの余地なく実証した。為政者の権力は国民の意思によるという理念のもとで、いくつもの政権が成功をおさめるにつれて、神の意思によって政府が作られ、神が特定の人間に他の人間を支配する権限を授けたとする従来の考え方は、説得力を失った。」(P500)

「政治の弾力性とその権力の拡大。これが西欧文明における民主革命がもたらしたふたつの結果であった。それゆえ、民主革命は産業革命の真の双生児だといえる。産業革命もまたそれ自体の領域で弾力性を高め、西欧人の手にした力をおびただしく拡大したからである。このふたつの革命が結びついた結果、西欧の生活様式は他の文明世界のそれをはるかにしのぐ力と富を獲得するにいたった。他の文明世界の国々が西欧の侵食に対して抵抗することはもはや不可能になった。」(P500、501)
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posted by tamatama at 18:06| 世界/経済・・ 2013年03月30日
狩猟・農耕・近代的工業、神の創造
いつの時代に、人は神を創造したか。
神は、農耕の始まりと共に生まれた。

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狩猟・採集    自然と一体のくらし   自分自身が自然の一部であるとの感覚

農耕・牧畜    自然と対峙するくらし  自然の法則の発見(天文学)、
                          それを司る力を神に求めた
                          不安定な自然の振る舞いを神の力で
                          鎮めることが必要→供犠

近代的工業   自然を改変するくらし  自然の科学的理解が進み、
                          神は不要になった(注1)
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こんなことを考えながら、「神の創造 農耕社会」で検索すると マクニールの「世界史」に行き当たった。まず、この本を読んでみよう。

(注1)個人の悩み解消のための宗教としての神とは別。
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posted by tamatama at 12:27| 世界/経済・・ 2012年07月08日
ギリシャ、スペイン、イタリアの人口ピラミッド
EU諸国の中で現在、財政に問題をかかえるギリシャ、スペイン、イタリアの人口ピラミッドを見て驚いた。


ギリシャ 2012年の人口ピラミッド


スペイン 2012年の人口ピラミッド


イタリア 2012年の人口ピラミッド

これら3国の人口ピラミッドの特徴は、30〜40代をピークにその後、人口が急激に減っていることである。働き盛りの人はたくさんいるが、彼らは子供を作っていない。このような「かさ形、家型」の人口ピラミッドが生み出す問題が、現在の財政問題の原因になっているのか、それとも今日に至るまでの経済上、財政上の問題が原因で、結果としてこのような「かさ形、家型」人口ピラミッドになったのか、そのどちらなのかはよくわからない。いずれにしろ、大人の数に比べこんなに子供が少ないのでは、ここ当分は将来に大きな期待はできそうもない。

ポルトガルと、フランスの人口ピラミッドも見てみた。


ポルトガル 2012年の人口ピラミッド


フランス 2012年の人口ピラミッド

ポルトガルは、先の3国ほどではないが、よく似た傾向を持っていた。フランスは、いわゆる「釣鐘型」で異なる形であった。

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(2012.9.17追記)
ギリシャ、スペイン、イタリアへの移民の流入が、近年の人口増加の大きな要因だという記事があった。人口ピラミッドの形を考える際には、移民の流入を考える必要がありそうだ。

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(データ出典)
http://www.census.gov/population/international/data/idb/informationGateway.php
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posted by tamatama at 20:28| 世界/経済・・ 2012年07月06日
中国は一番になれない
今、日本は、内政問題でゆれている。日本の少子高齢化を予想し、現政権(民主党政権)が「税と福祉の一体化改革」をうたい、消費税の引き上げを行おうとしている。

日本と、中国、アメリカの2012年と2050年の人口ピラミッドを比べてみた。

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(日本)

日本 2012年


日本2050年

2012年、日本の内政の課題は、十年以上続いている景気低迷の回復と、今後の少子高齢化に対応する福祉・年金問題の解決である。この、人口ピラミッドを見る限り、明るい未来は開けそうもない。2050年の「老人大国」に向かって、なすすべもなく沈み込んでいくような気がする。

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(中国)

中国 2012年


中国 2050年

中国の人口ピラミッドは、総人口抑制をめざした一人っ子政策のせいで、一人当たりGDPが先進国の仲間入りをする前に、日本と似たような形になってしまった。今は、30〜50代の働き盛りが多いが、2050年くらいになると今の日本とほとんど同じ形になる。

中国は、2050年ころには、今の日本のように内政問題に手一杯で大揺れにゆれ、そして「老人大国」としてこれから日本が歩む道を歩んで行くことになる。とても、世界を相手にした外交に手を回すゆとりはなくなるだろう。総人口の多さが中国の「武器」ではあるが、この武器は内政問題の足かせにはなっても解決の武器にはならないだろう。

食糧問題解決のための一人っ子政策は、工業化のテンポを速めることには成功したが、同時に少子高齢化のテンポも速めてしまった。ゆっくりと大国への歩みを歩んでいるインド、インドネシア、ブラジルなどが21世紀のあとの世界を支えていくのかもしれない。

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(アメリカ)

アメリカ 2012年


アメリカ 2050年

2012年、そして2050年のアメリカの人口ピラミッドをはじめて見た。以前に、アメリカは国の中にもう一つ、新興国を持っているようなものだ、と述べたが改めて実感した。アメリカの若者が勤勉さを保って働き続ける限り、2050年までは少子高齢化を原因とする内政問題に煩わせられることなく、「世界の覇者」として君臨し続けることになるだろう。そして、人口ピラミッドの形は、その後の50年も活力あるアメリカを維持できることを示している。

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歴史の新しい多民族国家のアメリカは、21世紀も超大国であり続ける。中国は、この先、唐の時代の栄光を取り戻すことはできない。
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(データ出典)
http://www.census.gov/population/international/data/idb/informationGateway.php
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posted by tamatama at 19:48| 世界/経済・・ 2012年01月11日
人類の歴史と争い・戦争
(農耕の開始と人口の増加)
人類の歴史の節目を考えてみた。最も大きな節目は、農耕を始めて人類が自然の供給力以上の人口を維持できるようになったことであろう。それから、現代にいたるまで人々の食料供給はおもに農業に頼っている。しかし、ここ数百年、産業革命以降の急激な人口増加は農業の食料供給能力の増大だけでなく、科学・工業の発達による環境改善・医療技術進歩による乳幼児の死亡率減少と、寿命の延長によるところが大きい。

(石炭、石油の使用と科学・工業の発達)
そして、その科学・工業の発達は膨大な数の科学者、技術者を維持できる社会が前提であって、その社会を支えることができたのが石炭、石油エネルギーの使用であった。石炭、石油は容積あたりの発生熱量が大きく、扱いやすい手軽なエネルギー源であった。この、石炭・石油の使用が二つ目の大きな節目である。

(道具の使用と、人の進化)
農耕の開始から逆に時間を遡って考えてみると、自然への働きかけという観点でみれば太古の人々が道具を使い始めたことが、大きな節目にみえる。自然への働きかけは小さかったが、その反作用は、気の遠くなるような時間をかけて、人をして、さらに人らしくしていった。

(人類の歴史と争い、戦争)
人類の歴史を、人が自然に働きかけてきた歴史という観点で見ていくと、第1番目は、道具の使用、第2番目は、農耕の開始、第3番目は、石炭、石油の使用ということになろう。こういった観点での歴史の見方と、人々との争い、戦争との関係を考えてみた。下表(自然と人類歴史)に示す。



(争い、戦争のない世の中は来るのか)
下の通り、いろいろな項目で縦横を眺めてみた。これから、どうなるのだろうか、戦争のない世の中にはどうすればできるのか。石炭、石油を使い切ったあとは、太陽エネルギーの争奪戦がおきるのだろうか。それとも、戦争と共に生まれた原子力エネルギーに頼らざるを得ないのだろうか。それとも、持続可能な地球規模の社会作りへの展望が開けるのだろうか。


(自然と人類の歴史)
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          道具        農耕           石炭/石油
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社会      狩猟・採集      おもに農耕      農耕
         漁労         ・栽培          製鉄・化学工業

自然への   小さい        中くらい        大規模
働きかけ                            過去遺産であるエネルギー
                                  の獲得(収奪)

果たした   ヒトの進化     増大する人口の維持  大量のエネルギー供給
役割                                大量の人員維持による
                                   科学文明の創出と発展
                          
自然破壊   小さい        中くらい          大規模
                                (土地改変、漁業資源減少)

不可逆性   狩猟で       燃料で          石炭/石油採掘は
         大型獣絶滅    森林破壊         全く不可逆的
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エネルギー  太陽エネルギー  太陽エネルギー    太陽エネルギー
源                  +過去蓄積エネルギー +過去蓄積エネルギー
                    (木材)           (石炭/石油)

人類の数単位 十〜百万人   1億人           10億人 

時間単位    百万年       千年            百年
          (3百万年)    (4千年)         (4百年)        
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争い・戦争  個人の生命保存  部族集団の保存維持 国(民族集団)の  
の原因    家族の生命保存  民族集団の保存維持  保存維持

          食料        土地・食料・労働力   土地・食料・資源
                     安全            安全
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争い・戦争の 集団の形成    集団・階層の高度化 集団・階層の固定化
防止      階層の形成    強力な中央集権   国家の枠組みを強化
                                  国家間盟約・集団安全保障
          ↓           ↓              ↓
         食料分配      土地・食料の分配  土地・食料の分配
                     安全の確保      安全の確保
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(人類の数単位、時間単位については、大まかに考えたもの)
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posted by tamatama at 18:47| 世界/経済・・ 2011年05月11日
キリスト教宣教師の勘違い
ヨーロッパで隆盛を極めたキリスト教は、ヨーロッパ諸国の世界への進出と同時に世界に宣教師を派遣し、それまで異なる宗教を持っていた人々に自らの教義を広めようとした。「野蛮」な世界から「文明」の世界へと導くのだと南米にも、アジアにも進出してきた。

宣教師は、船に乗ってやってきた。船には鉄砲を持った兵士が乗っていた。宣教師は、兵士の後について行き、その後ろから隠れるようにして「野蛮」な人々を見た。船がなければ、彼らは他の国へ行くことが出来なかったし、鉄砲がなければそこで安心して布教をすることも出来なかった。

キリスト教の世界への進出は、ヨーロッパでの産業の発達、文化の発達、中央集権国家の成立があって初めて始めることが出来た。宣教師は、自分が乗って行った船がすばらしく、また兵士の持つ鉄砲が弓や刀よりも数段強力であったから、自らのキリスト教の教義も文明的ですばらしいものだと勘違いした。そして初めてヨーロッパから来た船と鉄砲を見た人々は、その技術の高いことに驚き、一緒に宣教師が持ってきたキリスト教に対しても、同様にすばらしいものだと思ってしまった。

キリスト教の宣教師は、進出先で接した異なる宗教から学ぶという謙虚さに欠けていた。ヨーロッパ文明という船に乗っていただけなのに、彼らは積荷であった自分たちの宗教もすばらしいと勘違いしてしまった。そして、今も、勘違いしたままでいる。今では兵士の後ろに隠れていた宣教師はもういない。世界へ進出していくのは自らの国を「神の恩寵を受けた自由と民主主義の国」という勘違いをした兵士だけだ。
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posted by tamatama at 11:26| 世界/経済・・ 2011年04月28日
2050年拡大する世界経済
2010年、中国のGDPは日本を上回った。一人当たりGDPでは、日本がまだ大きく上回っているけれども、国として世界への影響力はますます大きくなってきている。

(2050年の世界各国のGDP予想:ゴールドマンサックスの2007年予測)

 ("BRICS AND BEYOND" - Goldman Sachs study of BRIC and N11 nations, November 23, 2007.を調整)

2010年、世界でのGDP大国は、
アメリカ、中国、日本、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ロシア、ブラジル、インド 
2050年には、それが
中国、アメリカ、インド、ブラジル、メキシコ、ロシア、インドネシア、日本、イギリス、ドイツ
になると予想している。

いわゆるBRICSの台頭である。2010年、アメリカのGDP15兆ドルに対し、中国、日本はそれぞれ5兆ドルで、アメリカの3分の1の規模であった。ところが、2050年の予想では、中国は70兆ドル、アメリカ38兆ドルに対し、日本は7兆ドルと予想されており、アメリカの5分の1、中国の10分の1の経済規模しか持たない国になってしまう。このとき、インドは、38兆ドル、ブラジルは11兆ドル、メキシコ、ロシアが9兆ドル、インドネシアが日本と同じ7兆ドル規模の国となる。(数字は、表の数字を使っており、2010年実績とは異なる。以下も同じ)

かって、高い文明を誇った中国、インド、そして南米の国がまた大国として立ち現れることになる。日本は、また極東の辺境の島国として独自の道を歩むことになるのだろうか

(異なる予測の紹介:Wikipedia BRICS から))
日本経済センターは、2008年1月に2050年の購買力平価に基づくGDP予想順位を、1位アメリカ、2位中国、3位インドとしている。

プライスウォーターハウスクーパースは、2008年3月発表で、1位中国、2位アメリカ、3位インド、4位ブラジル、5位日本、6位ドイツ、イギリス、ロシア、メキシコ、インドネシア とした。

ゴールドマンサックスの2050年予測も、その数字自体はともかく大きな流れは当たっているであろう。

(世界経済規模について)
世界経済規模が、2010年の43兆ドルから、2050年240兆ドルと40年間で5.5倍にもなると予想している。これは表にある人口の多い国々22カ国の予想である。この22カ国の2010年の人口は49億人で、世界全体69億人の70%をカバーしている。2050年の世界経済規模は、ここにない国々の人口分だけ単純に増やしたとすると、240兆ドル÷0.7=340兆ドルと予想される。

2050年には、世界人口は90億人になると予想されている。もし、2050年に世界の全人口が2010年の日本、イギリス、ドイツの一人当たりGDPの大きさ4万ドルの生活レベルを得るとすると、90億人×4万ドル=360兆ドルとなる。この数字は、上の2050年の世界経済規模340兆ドルにほぼ見合う数字だ。

(持続可能な地球)
2050年には、世界の人々が今の私たち日本人と同じレベルの生活を送っていることになる。世界の人々は、貧しさから脱却しさらに高いレベルの生活を目指しているであろう。・・・本当に、こうなるだろうか。地球は、こんな大きな規模の生産活動を支えていけるだろうか。私は、非常に懐疑的である。

90億人の人口予想はほぼ当たるであろう。しかし、経済規模がこんなに大きくなって持続可能とは、今の私には思えない。一人当たり4万ドルの生活レベルを見直す必要がある。1920年代のアメリカは飽食の国で、今もそうである。アメリカ人の生活に憧れ、日本人は頑張ってきた。中国やその他のこれから発展しようとしている国の人に今の生活レベルで我慢しろとはいえないだろう。一人ひとりが自らの生活を良くしていきたいとがむしゃらに頑張って、そしてそのうち気がついてみると地球の資源は枯渇し、土壌は回復不能になり、そして止まることのない人口減少が始まるのだろうか。
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posted by tamatama at 20:54| 世界/経済・・ 2011年02月23日
「銃・病原菌・鉄」を読む
著者 ジャレッド・ダイアモンド (カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授)
訳者 倉橋 彰(数理言語学博士)
出版 草思社
上下2巻、副題 1万3000年にわたる人類史の謎

アメリカ資本主義発展に果たす奴隷貿易の役割を調べていたとき、西インド諸島では殺戮と疫病でその原住民のほとんどが死に絶えたと、上述の本に掲載されていることを知った。図書館で借りて読んだ。内容すべてが興味深く一気に読んだ。
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(内容)
1)なぜ、オーストラリア大陸の先住民アボリジニが、ヨーロッパから来た白人に征服され、その逆ではなかったのか。
2)なぜ、アメリカ大陸の先住民が、ヨーロッパから来た白人に征服され、その逆ではなかったのか。

3)人類は、アフリカ大陸で紀元前700万年に発生した。その後、狩猟生活を続けながら紀元前100万年にユーラシア大陸のアジア地域に、紀元前50万年にヨーロッパ地域に、そして紀元前4万年にオーストラリア大陸へ、紀元前1万年にはアメリカ大陸へ移住した。オーストラリア大陸、アメリカ大陸では、家畜に出来る大型動物を食料として取り尽くし、絶滅させてしまった。ユーラシア大陸では、豊富に動物がいたことや国土が広かったために家畜に出来る大型動物が残った。
4)ユーラシア大陸では、そのほかのオーストラリア、アメリカ、アフリカ大陸よりも早く狩猟生活から栽培農耕生活に入った。それはこの大陸が、栽培可能となる野生種が多かったからである。(小麦、エンドウ、オリーブ、米、粟、コーリャン)また、鋤を引く大型動物(牛など)は、ユーラシア大陸で家畜化され、その後の食料生産性を向上させた。

5)食物の栽培が始まったのは、南西アジア(肥沃三日月地帯:メソポタミア)で紀元前8500年、中国で紀元前7500年、中央アメリカで紀元前3500年、アンデスおよびアマゾン川流域で紀元前3500年までには、そしてアメリカ合衆国東部で紀元前2500年である。
6)よそから持ち込まれた家畜、農作物が基盤となって食物栽培が始まったところは、西ヨーロッパで紀元前6000年から3500年、インダス川流域で紀元前7000年、エジプトで紀元前6000年である。ユーラシア大陸は、東西に長く同緯度地域が続いているため、食物栽培の伝播速度が早かった。南北に長いアメリカ大陸では、緯度による気候変化が大きく食物栽培の伝播速度が遅かった。また、中央アメリカが細いという地形も伝播の障害となった。

7)人は、狩猟生活から栽培農耕生活に入ることで人口を大幅に増やした。直接には食料増産に依るが、移動生活から定住生活に移ったことで生活環境(住居、衣服、道具など)が向上したことも要因である。
8)定住生活は、野生大型動物の家畜化と飼育を容易にした。羊、山羊は紀元前8000年に南西アジアで、豚は紀元前8000年に中国、南西アジアで、牛は紀元前6000年に、南西アジア、インドで、また馬は、紀元前4000年にウクライナで家畜化された。

9)これらの家畜は、食料・衣服を供給し、農耕の生産性を向上し、運搬に役立ち、騎馬戦に代表されるような戦いの戦力として役立った。
10)また、人は家畜とともに暮らすようになって、疫病に対する免疫力を持った。人の疫病は、動物の病原菌が人に感染し、その中で人同士感染するように変化したものである。定住生活で人が密集して生活することは、疫病の感染ということでは不利であったが、生き残ったものは免疫力を持つこととなり、分散した狩猟生活者よりも、密集した定住生活者のほうが、免疫を持つ速度が速かった。

11)人は栽培農耕生活をするようになって、余剰生産が可能となり仕事の分業化が可能となった。分業はますます生産性を高め、次第に集団を複雑なものにしていった。鉄器の生産も、この地域が早くに始め、そして専門集団を作り、その技術をますます高めていった。
12)社会は、数十人で移動生活を送る「小規模血縁集団」、数百人で定住生活をする血縁集団の集合体である「部族社会」、数千人で定住生活を送る階級化された地域集団としての「首長社会」、そして5万人以上が多数の村落と都市で暮らす階級化された地域集団としての「国家」と発展していった。

13)栽培農耕が早くスタートしたユーラシア大陸(アジア、ヨーロッパ)では、その社会の発展もオーストラリア大陸、アメリカ大陸よりも早かった。ヨーロッパ大陸の国家は、集権的な政治体制、強力な軍隊の保持、大型帆船などの移動手段の所持、さらには文字の使用による情報の蓄積の豊富さ・伝達の早さなどで、オーストラリア大陸、アメリカ大陸の先住民を圧倒していた。
14)1492年以降、スペインがアメリカ大陸のアステカ帝国、インカ帝国を滅亡に追いやったのは、武力により圧倒していたこと、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘、麻疹まどの疫病に先住民が免疫を持っていなかったことなどが原因である。

15)北アメリカのミシシッピ流域には、先住民の首長社会があったがヨーロッパからの移住が進む前に疫病で姿を消してしまった。また、西インド諸島でもヨーロッパ、アフリカから持ち込まれた疫病で人口が激減した。
16)ユーラシア大陸で起こった文明を起源とする諸国家がオーストラリア大陸、アメリカ大陸を征服し、その後も大きな影響を持った。この後、征服された先住民が、ユーラシア大陸の諸国家を征服し、大きな影響を持つようになることはないだろう。
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(感想)
1)先史時代の歴史を、リアルに感じて面白かった。
2)先史時代に狩猟生活から農耕生活に入った時期が早いか遅いかで、今のヨーロッパ中心の世界が作られていったことがわかった。

3)日本に十万年以上前に来た人々は、1万年前に氷河期が終わり大陸から切り離されて以降も営々と狩猟生活を送りながら家族を育て人口を増やしていった。その間、北方からも南方からも人が来たのかも知れないが、入れ替わりがあったとしてもかなりの人が日本で暮らしていたに違いない。大陸から稲作が伝わり人がどんどん増えていき、そして中国が三国志の世界になり、ヨーロッパがローマ帝国の世界になったころ日本でも、それなりに首長社会らしきものが出来ていた。日本に住んでいた人たちのここまでの努力と苦労に感謝すること大である。

4)日本が、ユーラシア大陸で栽培農耕生活にいち早く入り文明の花を開かせた黄河、揚子江流域に近かったことは、文字に代表される進んだ文化、中央集権的な政治制度をいち早く取り入れることが出来たという意味でまことに幸運であった。また、ヨーロッパから影響を受けにくい遠い辺境のちっぽけな島国であったことも征服の手が伸びるのが遅かったという意味で幸運であった。

5)日本は国土は狭い。その狭い国土に縄文時代、数十万人であった人々が、江戸時代には3000万人にまで人口を増やし明治維新まで維持してきたことは、ありがたいことであった。信長や秀吉、家康、維新の志士たちを輩出するのに十分な人口を維持し続けた多くのそれまでの日本国民に感謝しなければならない。営々と田んぼの世話をし、畑を耕し、子作りに励んだ人たちをだ。

6)この本は、私に700万年間前から、2011年まで一続きで感じるようにしてくれた。少しロマンチックにいうと、700万年前の命が、今の私に続いていることを実感させてくれた。
7)アフリカを出発して代々倒れても倒れても歩き続け、そして最後に日本に到着した大昔の祖先の姿が目に浮かぶ。今、ちっぽけな島国日本が世界の経済大国としてあるのは、元はと言えば、その祖先のおかげである。感謝すること大である。
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posted by tamatama at 17:10| 世界/経済・・ 2011年02月06日
アメリカ超大国への歩み
世界を制してきた国を一人当たりGDPの推移を見ながら辿ってみた。
アメリカは、どのようにして超大国になったのか。

1.1776年のアメリカ独立宣言まで
(ローマ帝国)
ヨーロッパでは、エジプト・ギリシアの文化を受け継いだローマが覇者となり強大な帝国を築いた。アジアでは、中国黄河文明を受け継いだ、秦そして隋、唐が中国の統一を成し遂げ高い文明を誇り、まわりの国々へ影響を与えていた。

(スペイン・ポルトガル、そしてオランダ・フランス・イギリス)
ローマ帝国の版図は、ヨーロッパ、西アジア、北アフリカに限定されていたが、大航海時代を迎えて力を付けたポルトガル・スペインは世界を版図とし、植民地を増やすことで世界の富を集めた。彼らに遅れ海外進出を果たすオランダ、イギリス、フランスは巧みな植民地経営で、先の2国を凌駕するに至る。まずオランダが、海上王国として世界を席巻したが、スペイン無敵艦隊を破ったイギリスとの数度にわたる戦争で次第に国力を落とし、彼らの植民地を奪ったイギリスが大英帝国して世界の覇者となった。

アメリカ大陸は複数の国の植民地として入植者による開拓が行われていた。日本はアジアの辺境の国として独立を保っていたが、その国力はヨーロッパに大きく後れを取っていた。

2.アメリカ独立宣言以降
(イギリス・フランス・ドイツそしてアメリカ)
イギリスで、いち早く産業革命が始まるとアメリカ大陸の植民地は綿花などの原料供給地として利益を得た。1776年、東部13植民地はイギリスからの独立を勝ち取り「アメリカ合衆国」となった。その後も、先住民の住んでいた大陸奥地の開拓を進め、フランス、スペイン、メキシコからの植民地割譲を繰り返し広大な国土を得、西部開拓を行うことで国力を増していった。1800年代初頭には、オランダ、イギリス、フランス、ドイツと並ぶ国になっており、ヨーロッパの産業革命の進展とともに、ますます富を蓄積していった。

そのころ、インド、インドシナ、インドネシアなどアジア諸国はヨーロッパ諸国の植民地として、困難な状況に置かれていた。中国は、ヨーロッパ諸国の租界地が作られ、経済的に収奪された。日本は、江戸時代を通じ「鎖国政策」のもと、独立を保ってはいたが、経済的な発展は欧米諸外国に大きく後れをとった。

(アメリカの台頭と超大国への歩み))
第1次世界大戦がはじまると、ヨーロッパは戦場となり破壊された。大戦当初、中立を守っていたアメリカは武器の供給で、また大戦後は戦後復興で大きな利益を得、経済的な主導権をイギリスから奪った。大戦後に訪れた世界恐慌からの脱出に苦しむ日本は、同じく全体主義的な領土拡張で経済建て直しを図ろうとするドイツ、さらにイタリアとともに、イギリス、フランス、オランダ、アメリカなどと対立し第2次世界大戦を引き起こした。この大戦においても、自国が戦場にならなかったアメリカは、ヨーロッパ、アジア諸国の戦後復興で大きな利益を上げた。戦後の経済的な構図はここで決まった。

日本が、一人当たりGDPでヨーロッパ諸国と肩を並べるのは戦後高度成長を成し遂げた後である。韓国は、遅れて高度成長を成し遂げ、中国がそれに続いている。中国は、人口が多いため一人当たりGNPは小さいが、国全体としての潜在力は大きなものがある。

2008年の世界同時不況は、アメリカ、日本、ヨーロッパ諸国を襲い経済に大きな痛手を与えた。しかし、今もってアメリカが大きな力を持っていることには変わりなない。今後、人口減に苦しむ日本、経済統合の効果が今一つ芳しくないヨーロッパEC諸国に対し、圧倒的な経済力、軍事力を誇り今後も人口の増加が続くアメリカが世界の盟主に君臨し続けることは間違いない。


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西暦      日本         中国・朝鮮         世界

1年頃    邪馬台国(239)  後漢中国統一(25) ローマ帝政開始(BC27)
500年頃  聖徳太子(593)  隋滅び唐へ(618)  フランク王国建国(476)
1000頃  平安時代:道長    宋(北宋)(960)  ヨーロッパ封建制度
                                 第1回十字軍(1096)
1500頃  室町時代:応仁の乱  明        コロンブス、米大陸発見(1492)
                              マゼラン、世界周航(1519〜)
1600頃  秀吉統一(1590) 後金国号清へ(1636)オランダ独立宣言(1581)
                          スペイン無敵艦隊、英に敗れる(1588)
1700頃  江戸時代:家康(1603) 清     蘭英戦争、蘭疲弊(1652〜74)
                              英産業革命はじまる(1770頃〜)
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                                米独立宣言(1776)
                                フランス大革命(1789)
1820頃  異国船打払令(1825)
       シーボルト事件(1828)          米モンロー主義(1823)
       ペリー来航(1853)清、アヘン戦争(1840)
1870頃  明治・大政奉還(1867)          米南北戦争(1861)
                                普仏戦争(1870)
                                イタリア統一(1870)
                                ドイツ統一(1871)
1900頃  大日本国定刻憲法発布(1889)
                  独露英、清より租借(1898)
                  義和団の乱((1899)
1913頃  大正時代(1912) 清滅び、中華民国成立(1912)
               第 1 次 世 界 大 戦(1914)
       昭和時代(1926) 
                  満州国建国(1932) 世界恐慌(1929)
1940頃  日中戦争、日独伊防共協定(1937)
               第 2 次 世 界 大 戦(1939)
                              米マーシャルプラン(1947)
1950頃  講和条約、安保条約(1951)中華人民共和国(1949)
                  朝鮮戦争(1950)
1960頃  新安保条約(1960)            EEC調印(1957)   
                              ソ連、人口衛星打ち上げ(1957)
1970頃  沖縄返還(1971)             ドル・ショック(1971)
       変動相場制移行・オイル・ショック(1973) ベトナム戦争終結(1975)
1980頃             米中国交樹立(1979)サミット開催(1979)
1990頃  平成時代(1989)             ソ連崩壊(1989)
       バブル崩壊(1991)
2000頃                           湾岸戦争(1991)
                                BRICsの台頭
2008頃             北京オリンピック(2008)世界同時不況(2008〜) 
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(出典 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4545.html)
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posted by tamatama at 19:12| 世界/経済・・ 2010年08月15日
世界の軍事費
下表は、2005年の世界の国々の軍事費支出だ。この中には、装備費、装備と兵員の維持費も含んでいる。アメリカの軍事費は、イギリス、フランス、中国、日本、ドイツなどの約10倍であり突出している。

卑近な言葉で言えば、アメリカは、他の国々の10倍大きいげんこつを持っているということだ。そのげんこつを見れば、誰も力づくでの勝負でかなうとは思わないだろう。また、力での国際貢献などという言葉は絵空事に思える。アメリカの意向に沿わない軍事的な行動など取れるわけがない。

日本は、この圧倒的なアメリカの軍事的優位の中で今、世論の動きに配慮しつつ、かって専守防衛と言っていたことを忘れたかのように、国際貢献という名目で中東を中心とした国々へ自衛隊という名の軍隊を派遣している。自衛隊という名前の是非が議論されていたのはもう遠い昔のことだ。

(世界の軍事費)

      億ドル    GDP比 %
アメリカ       5046    4.1     
イギリス        600    2.7        
フランス        520    2.5        
中国          443    2
日本          441    1   
ドイツ          380    1.4
インド          380    2.8
イタリア        335    1.9
ロシア         311    4.1
サウジアラビア    253    8.2     
韓国          203    2.6
イスラエル      125    9.7      
スペイン        118    1.1 
イラン          90     5.8
台湾          73     2.2
パキスタン       55     3.5
スウェーデン     55     1.5
スイス         34      1  
全体         10010    2.2 

出典は、ストックホルム国際平和研究所データ
支出額は、2005年度US$基準額で各国通貨額を換算
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posted by tamatama at 19:28| 世界/経済・・ 2010年08月09日
金融危機
私は、70年代中頃に会社に入り、2000年代後半にリタイアした。30年間の間に、バブルがあり、バブル崩壊があり、ITバブルがあった。その中で思うことは、経済は短いスパンで見ていてもわからないということだ。

株価を見るなら、少なくとも20年間の変動を見て 10年のスパンで投資をする必要がある。今回の金融危機は、大変だが5年待てば回復する。前々回は2万円超え、前回は1万7千円、今度は1万5千円くらいか。為替もしかり。円高は徐々に円安に向かうだろう。前々回の円安は134円、前回が125円、今度は115円くらいか。5年が待てない人は投資に手を出すべきではない。

日本の経済の拡大は、人口の推移と連動している。日本のバブルは、日本のいわゆる団塊世代の生産人口の増加がGDPを引き上げ、住宅産業を拡大させた結果起こった。これからは、生産人口が減少する時代に入る。日本は、徐々に衰退する。悲観することはない。それに見合った経済システムを作っていけばよい。若い人はしっかりと働いてほしい。

私が親からもらったものは、比較的丈夫な体と、勤労を尊ぶ精神と、少々ストイックな天の邪鬼精神。いつも、脇を絞めて生きていくことは少々窮屈だったが、振り返るとまずまずだったと思う。子供にはこう伝えてある。世の中には、お化けとぼろもうけはない、汗水流して働くことを忘れるな、と。今、自分の退職金は投資信託で運用しているのだが、そのことは黙っている。
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posted by tamatama at 00:00| 世界/経済・・ 2010年07月16日
基軸通貨、米ドルの強さ
米ドルが、戦後の基軸通貨になった正確な理由を私は知らない。

アメリカは2度の世界大戦で国の中の生産設備が破壊されなかった。
その分、他国の戦後復興に大活躍し富を蓄積した。
第1次世界大戦後の1920年代には、もう大国であったし、
第2次世界大戦後は、超大国になった。大きすぎて誰も注意も意見もできない。

アメリカは、国の中の新陳代謝が盛んでそれが、活力になっている。

今後の人口推移予想:(2000年当時のもの 単位人)
      2000年    2030年     2050年
中国    12.7億    14.6億     14.1億
インド   13.3億    19.6億     22  億
アメリカ   2.8億     3.6億      4.2億
ヨーロッパ 73  億    71  億     65  億
日本     1.1億     1.1億      1  億

日本の人口はもっと減るというのが最近の予想。
アメリカは、国の内外に大きな富を持ち、軍事力を持ち、国の中に
もうひとつ新興国を持っているようなもので若い力がどんどん増えている。
米ドルの強さは、まだ50年は続くように思える。
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