曲名

MDF

二度目の恋人 もともと私は精神的にタフな方である。しかし、三週間に2度も野辺送りをせねばならない状況は、かなりこたえてしまった。
生と死の畏敬を考えざるを得なかった。

いつのまにか、「癒しの曲」の集計が始まっていた。私の投票した「二度目の恋人」だけ空欄になっているので、その理由を少し述べてみよう。

以前にも述べたかもしれないが、私は23歳の時に母を亡くしている。14歳の時に真梨子さんに出会い、23歳のころから、本格的に真梨子さんを聴くようになっていた。
以降、恋愛経験も人生経験もない私が真梨子さんを「理解」しようとするあまり彼女の仕事に対する姿勢、プロとして、仕事としてシンガーをしている姿勢いってみれば、「演じられた高橋真梨子さん」の存在の素晴らしさを感じとるようになっていた。
だからこそ、オフィシャルな部分で、私も一流の仕事をしようとしてきたし一部に私の存在を芸能関係者、真梨子さんに近い人と誤解を招くほど、プライベートでコレクターとしてもまたファンとしても、一流であろうと自己満足であると知りつつ出来る限り応援してきたのである。

オフィシャルな部分での充実がないと、いくらプライベートで真梨子さんを応援しても彼女の歌に感動しようとする自分自身が寂しかった。
だから、私にとって真梨子さんの楽曲に癒されるときは、それは一生懸命に「生きているとき」だと思う。
つまり、彼女に近づこうとしても近づけない新しい真梨子さんの世界が毎年展開していく瞬間だ。
ある意味では、まり子さんに惚れて「高橋真梨子さん」という存在にとどかぬことに失恋し、自分に失意を持っていくことでもあった。
だから真梨子さんにより近づこうとした。

私には、音楽評論家に負けない表現で、「高橋真梨子さん」を表現したいとの望みがある。そのスタートが、母の野辺送りであるとすれば、向日葵を特殊な歌として理解して真梨子さんと共通体験をもったと誤解しても仕方が無いだろう。

しかも偶然とは怖いものだ。
慶応義塾である女性と出会ったとき、彼女が母の亡くなった病院の助産婦をしていたこともある種の出逢いを演出していた。彼女は常に、生と死の狭間で仕事をしている。畏敬へ近づく領域、光と闇の世界でもある。
何か不思議な縁を感じた。

その彼女とつきあうようになって、真梨子さんのコンサートによく出かけた。FORESTには、何回も足を運んだ。そして彼女と結婚して十三年たった。
香港で、真梨子さんと彼女が話したことがとても不思議であった。後にデルタで歌われたような、出逢いを感じた瞬間でもあった。だからこそ、彼女はいまだに真梨子さんには勝てない永遠の「二度目の恋人」なのである。

プライベートだけ充実していても、私は真梨子さんを応援しつづけることは出来ない。それが、「私の高橋真梨子との接し方」であり、まり子さんへの賛辞でもある。だからこそ、癒しなのかも知れない。

私はこれからも、高橋真梨子さんに恋をしつづけていきます。