西粟倉村 大茅地区 現地訪問 (08.8.10 訪問) 西粟倉村を縦断する吉野川の上流には、かって明治期までたたら製鉄がおこなわれていた「永昌山鉄山」がある。 大海里川は、吉野川の支流で上流は大海里渓谷と呼ばれる清流である。 (砂鉄採取推定地) 大海里川の上流には、不自然な「なる地」がある。 谷の上流方向を見る (水路状跡地) 大海里川中流域にに、石組で補強した水路状の跡地があった。 大海里川へ流れ込む谷川に沿って、1mほど高くなった所にほぼ15mにわたって水路状の跡地がある。上流側水路状溝と、下流側水路状溝は堰により仕切られている。 写真左は 幅50cm、深さ50cm、長さ6mほどの水路状溝全景。上流端に、堰の形をした石組みがある。 写真右は 石組みの堰。土を除くと堰には、上部に凹部があった。 (聞き取り) 水路跡は、農業用水に関するものが多く、これもそうかもしれないと思い土地の古老(90歳とのこと。元気な方だった。)にお話を伺った。 1)大海里川中流域から、農業用水を取ってはいない。 2)大海里川で、鉄穴流しをしていたかどうかは、よくわからない。子供のころに鉄穴流しをしていたようにも聞いたが、そのころは興味が薄く定かではない。 3)大茅には、かって8軒の集落があり、その昔たたら製鉄に従事していた。子供のころ、そこへ野菜を運んでいった。その時は、もうたたらではなく、林業(炭焼き?)を生業としていた。今は、その集落はない。 4)この地区には、たたらに関係のある姓をもつ家が多い。兵庫県の千種から移り住んだ。 水路状溝は、「近世鉄穴流し遺構」かもしれないと、想像をたくましくして帰途についた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (資料調査) 大海里川で、鉄穴流しが行われていた記録を探したところ、明治8年の記録があった。 明治8年、永昌山鉄山の稼主であった木曾吉太郎が経営に困り鉄山を鳥取県因幡国邑美郡の河野庄蔵という人に売り渡しており、その中に次のような記事がみえる。 売渡証書之事 北条県管下 美作国吉野郡大茅村 字 下 東 四千八百坪 字シル谷 三千坪 字三曾木 弐千弐百坪 字 新 田 四千坪 字タイ海リ 四千二百坪 同国同郡中谷村 字大トウ 弐千五百坪 合計鉄砂場弐万零七百坪 工部卿伊藤博文殿仮坑区書六通 (大原町古町 田中家文書) ・・・・・・・・ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (持ち帰り土砂) 水路状溝から土砂を持ち帰り、水洗後磁石で砂鉄の有無を調べた。・・・・・・全くなかったのでガッカリした。 雪が降る前に、もう一度訪問したい。 (08.8.29) |