阿哲畜産史に見る芋原集落の繁栄(その2 江戸期 天保年間) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 阿哲畜産史 第二編 江戸時代 2 駄馬の部 第七章 駄馬荷物と問屋 (一)鉄山荷物及び運送問屋 (p105)阿哲郡駄馬往来略地図 (天保前後) ゴシック体の山、峠、川の名前は書き足したもの。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 新見藩は新見に、松山藩は川の瀬に荷物を集積させた。伯耆から、新見への三坂、芋原を経由する道筋は雲伯街道と呼ばれ、鉄の輸送路として重要であった。 問屋場は、民間業者が経営にあたり、藩も問屋株を与えるなどして保護した。芋原には、問屋場があったようだ。芋原集落の一軒は、江戸後期ばくろうを営んでいたとの話がある。これに対応するのであろう。(TKN) (09.4.15) |