2012年08月10日 ヒト社会での階層の受容 (集団行動力でヒトは生き残った) 猿人は、他の動物と同じように狩猟採集生活をしていた。他の動物は、蹄(ひずめ)をもつことで走る能力を高めたり、鋭い牙をもつことで殺傷能力を高めたりして生き残っていったが、猿人は集団で協同して獲物を捕らえる能力を高めて生き残っていった。 猿人から、原人、旧人そしてホモサピエンスと進化する全過程で、常に集団で協同して獲物を捕らえる能力を高めてきた。その能力とは、全員が役割分担をし、統率の取れた行動をする能力である。 (本能にまで強められた集団行動力) コミュニケーションをとるための言語能力、目的達成に必要なプロセスの想像力、自分の役割を理解して協力し合いながらリーダーに従って行動する集団行動力を徐々に培っていった。 こういったコミュニケーション能力、想像力、集団行動力を高めていったグループが、そうでないグループよりも多く効率的に獲物を得ることができ、グループを大きくしていった。そのグループは、どうすればさらにたくさんの獲物を得ることができるか学習し、そうして、ますます、コミュニケーション能力、想像力、集団行動力を強めていったのである。それは、長い期間をかけてヒトの「協働の本能」といえるレベルにまでになった。 (リーダーに従う能力は、集団行動力の一つ) 集団行動力には、リーダーに従って自らの役割分担を忠実に果たす能力も含まれていた。狩猟採集社会では、獲物の分配は公平であったかもしれないが獲物を取る行動の際には「指示するもの」と「指示されるもの」とがあった。そうした統率された行動をとることによって、より効率よく獲物を得ることができ飢えをしのぐことができたのである。 狩猟採集生活から、農耕生活に移行したあともリーダーに従って行動することは求められた。田を作ることや、灌漑施設作りなどは、リーダーなしにはできなかった。他の集団との土地争い・水争いで、集団の力を発揮し他の集団に打ち勝つにはリーダーの大きなリーダーシップと集団の支持が必要であった。 (人々は階層化を抵抗なく受け入れた) ムラからクニへ社会が発展し、集団が大規模になって役割分担が進み人々のなかに階層ができ、さらに支配・被支配の関係が生じようとしたとき、人々にとってはその関係は大昔から培われたきた集団行動力の延長にあるものであった。人々は、抵抗なくリーダーを受け入れ、支配・被支配の関係を受け入れたのである。 旧石器時代、縄文時代、弥生時代そして古墳時代と次第に階層が強固になっていく歩みと、人々がその階層とそこでの振る舞い方を受け入れていく歩みとはほぼ同時に進行していったに違いない。それは、支配者の側でも被支配者の側でも同じであったろう。 to top posted by tamatama at 11:47| 進化 2012年06月19日 幼児にひし形を描かせてみた 3歳9ヶ月の孫(女児)に、ひし形を描かせてみた。前回(幼児に三角形を描かせてみた)では、三角形を描くことができなかった。今回、三角形を描くことはできたが、ひし形を描くことができなかった。幼児にとっては、ひし形の描画は、三角形以上に難しいとされている。 (三角形の描画) 図形の描画 最上段のモデルの通り、下に描くように指示した。 三角形を描くことができた。三角形を描く時、自ら「さんかくけい、さんかくけい」とつぶやきながら描いていた。 (ひし形の描画) このあと、ひし形のモデルを描き、その下に同じように描かせようとしたが、しばらく考えたあと「できない」と言って描くことをやめてしまった。 顔つき図形の描画 1 絵に意味をもたせるため、顔つき図形を描かせてみた。いずれもうまく描いた。 顔つき図形の描画 2 ひし形は、やはり「できない」と言って描かなかった。 (複雑な絵の描画) 分銅形土偶、トンボの絵のモデル トンボの絵の描画 分銅形土偶の絵は、「できない」と言って描こうとしなかった。 (今回の描画テストでわかったこと) 1)三角形の描画ができるようになっていた。「三角形」という言葉とイメージを頭の中で持っているようだった。これまで、モデルを見せなくても「まるをかいてごらん」というとまるを描いた。図形が描けるためには、「図形の名前」と「図形のイメージ」が頭の中で、出来上がっていることが必要であるように思えた。ひし形は、ひし形という名前と、ひし形のイメージが頭の中にないために描くことができないのではないかと思える。 2)顔つき図形の顔モデルと、描画された顔を見ると、鼻の形が異なる。これは、幼児が顔を描く時、顔モデルを見て、頭の中で自分で過去につくった「顔概念」を意識し、その後自らもっている「顔イメージ」を描いていることを示している。決して「顔モデル」を模写しているわけではない。 3)複雑な分銅形土偶の絵は描けなかったが、同じような複雑さをもつトンボの絵は描くことができた。これは、幼児の頭の中に分銅形土偶(あるいは、分銅形図形のなかの顔イメージ)の概念・イメージはまったくないが、トンボの概念・イメージは持っているためと思われる。 (今回の描画テストで考えたこと) 1)幼児が絵を描けるためには「絵の概念」とそれを表す「言葉」、そしてそれらと結びつく「絵のイメージ(構成物、形、配置)」が頭(脳)の中になければならないようだ。(ひし形、分銅形図形は、頭の中に概念としてないために描けなかったと思われる。) 2)幼児はモデル描画を見てしばらく考えた後「できない」と言った。この間、目から顔モデルを入力し、概念として捉え、自らもっていた記憶の中から顔イメージを引き出してきて、これからすべき描画の作業工程を考えて「できる」、「できない」を判断しているのだろう。概念として捉えるところでつまずいたのかもしれない。幼児の脳の働きを見ているようで興味深い。 3)幼児にとっては、自然の景色や動物の写生は難しいもののように思える。 to top posted by tamatama at 12:31| 進化 2012年03月24日 幼児に三角形を描かせてみた (仮説) 古代人は、銅鐸の鋸歯紋に見られるように「三角形」に対して特別な思いを持っていた。これは、ヒトが進化する過程で培われた古い脳に形成された「形状把握感覚」に由来している。ヒトは、丸を安全なもの、三角形を危険なものと本能的に仕分けをしている。 (三角形の模写) 3歳6ヶ月の孫(女児)に、三角形を模写させてみた。 1)自由なお絵かきの後、三角形を模写させた。 三角形の模写 その1 保育園の先生の顔、お友達の顔 赤丸 モデルの三角形 1、2 三角形がかけない。縦、縦、横、横の平行線で、四角形となってしまう。 3〜7 斜め線を意識して、台形になる。 8、9 左縦線、上辺横線、右の短い縦線を描いた後、図形が閉じないことに気がついて、右下の斜め線で無理やり図形を閉じた。 10 三角形のつもり?☆※ 11 三角形の形にはなっているが、描いている様子から偶然できたもので、本人も納得していないふうだった。 2)少し改まった気持ちで三角形を描かせた。 三角形の模写 その2 赤丸 モデルの三角形 1 台形 2、3 鋭角を意識しているのか、斜め線を意識しているのか、形は四角形だが三角形の特徴を活かそうと努力しているふうに見える。 4 丸を描かせると難なく描いた 5 モデルの特徴を「角が尖っている、線が三本」と説明して、描かせたもの。 「下の線は、どうしたの」と聞くと「いらない」という。 6 その後、嬉しそうに何本も5の上に線を描いた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (わかったこと) 1)三角形を描くことは、四角形を描くより難しい。 (参考 「現代の子どもの描画発達の遅れについての検討」郷間英世ほか) 2)幼児は絵を、なぞるようにコピーすることはしない。 幼児は、モデルの絵を見て、脳の中でその特徴を捉えて、描こうとしているように見える。 3)図形の特徴を捉えるのに、辺の数は重要でないようだ。 幼児に数の認識が乏しいことから、当然かもしれない。最後に描いた山型図形が、彼女にとっては三角形そのものだったようだ。モデル三角形の山形の特徴が、活かされた形だったのだろう。図形が閉じていないことは重要でないのか。 4)モデルの絵は、三角形ではなく、何か特徴のある絵として捉えられていたようだ。 その特徴は、はじめの絵では、「斜め線の集まり」、後の絵では、「頂点に突き出た線のある斜め線の集まり」のようだった。幼児にとっては、四角形も、三角形も少し異なる図形であって、大人が後で習う「四角形」、「三角形」という概念は持っていない。後のモデルの三角形は、頂点の飛び出た線が強く印象付けられたようだ。このような「実験」をする場合は、そのモデルの与え方には、十分な注意が必要だと思った。 5)幼児は、三角形の形に特別な感情は持っていないようだ。 丸も、四角も、三角も同じような気持ちで(楽しさで)描いていたようだ。しいて言えば・・・丸がすき。お母さんの顔!あんぱんまん! −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (仮説について) 1)ヒトは、古い脳に形状把握感覚を培ってきた・・・・まだ却下されない仮説 2)古代人は、古い脳の形状把握感覚に由来した三角形への特別な思いがある・・・却下されそうな仮説 to top posted by tamatama at 11:53| 進化 2012年02月23日 滅亡したラスコーの芸術家 (人間の目の能力の発達) 私たちの目が、赤い色に反応し興奮するのはかって食料採集生活をしていた時代に赤い色に実が熟したことを知ることが生存上有利であったからだと聞いたことがある。また、私たちが線と面だけでできたような抽象的な絵画にも心地よさを覚えるのは私たちの古い脳にある「形状把握感覚」が刺激されるからだと考えている。(「絵画と快感 その2」参照) 人間の目は、犬や猫など他の哺乳類に比べて色を見る能力に優れており、脳の働きを合わせて考えれば目から入ってくる情報を処理してその形や色を把握してそれを記憶する能力も優れているように思える。犬のように嗅覚をヒトには及びもつかないくらい発達させたものもいれば、草原に住む小動物のように聴覚を格段に発達させた生き物もいる。 しかし、視覚は、嗅覚や聴覚よりも優れている。まずその情報量の多さである。形、大きさ、色、表面状態など多次元で対象物を判別できる。嗅覚では、(たぶん)対象物の見分けは匂いの種類と強さの2次元であろう。匂いの見分け方に人間では想像もできない種類があるのかもしれないが、匂いの間の違いでしかなく、色と形ほどの違いはない。聴覚もしかりである。人間の耳に聞こえない音が聞こえても、それは所詮、音の範疇での幅の問題でしかない。 (目からの情報は、単純化されて脳に伝えられた) このように、人間が視覚能力と視覚情報処理「脳力」を生き残りの手段に選んだことは、まことに運が良かった。自然は3次元的な世界であるので、自然の諸相、諸現象を把握するには都合が良く、さらに自然への働きかけをするのにも都合が良かった。私は、人間の視覚情報は、すぐにシンプルな情報に置き換えられて伝達されているのだと思っている。大昔、草原で暮らしていたヒトはライオンを見るなり、「大きな、足のはやい、4本足の、危険な、生き物」と置き変えて記憶したのだと思う。ライオンの映像を脳の中に記憶したわけでない。そんなことをしたら、すぐ脳の記憶メモリーが足りなくなってしまう。 ヒトの脳が、一番初めに発達させたのは視覚情報から、その特徴(形、色、表面状態、さらには動きのすばやさなど)を抜き出して記憶することだったと考えている。草原で暮らしたヒトは、次にライオンでなく馬を見たとき「大きな、足の速い、4本足の、危険な、生き物」と思った。何度か見ているうちに、馬は危険なものではなく、おとなしいものだと知って「大きな、足の速い、4本足の、おとなしい、生き物」と記憶した。最初は、自分の生存にとって危険か、そうでないかが最も重要な点であったろう。このようなことを何万世代も重ねて次第に、外の世界についての知識が増していったのだろう。 (ヒトが最初に脳に持ったのは像ではなく、概念であった) ヒトは、ライオンを描くのに、「大きな、足の速い、4本足の、危険な、生き物」を描いた。姿はライオンっぽくなくてもこれだけの条件を備えていればライオンだった。ラスコーの壁画のように超写実的な絵を描いたヒトたちは、芸術家としては優れていたかもしれないが、概念的な把握ができていないという点でその後の発達には限界があったと思う。それより、ライオンの絵を、線で描いたヒトのほうが、頭の中で概念化の働きがある分、その後の概念の組み合わせ、一般化、シンボル化、言語化などへの道が開けていたと思うのだが、どうであろうか。 第1段階では、概念は物性の塊でしかなかった。第2段階で、物性の塊がシンボル化された。「ライオン」のような名前がついたのはこのときである。こうなって、はじめてヒトからヒトへの伝達が容易になった。ヒトとヒトとの相互作用、働きかけ、コミュニケーションに「シンボル」が介在してくると、その後の相互作用、コミュニケーンの複雑さは格段にレベルアップし、ヒトの脳はますます鍛えられ、「対象物概念化記憶脳」は、「概念組み立て、総合化」とか、「概念シンボル創造、再視覚化」とか、さまざまは「脳力」を発達させていいった。 (古代の鋸歯文、直弧文など) 古代のヒトは、見える対象物を概念化する脳を一番初めに発達させた。その脳は、見えないものを概念化し、そして視覚化させることができた。それが、鋸歯文であり、直弧文である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (次の本に刺激を受けて考えた。どちらの本も面白かった) 「ヒト、この不思議な生き物はどこから来たのか」長谷川眞理子 編著 ウェッジ選書11 株式会社ウェッジ 2002年 「人類がたどってきた道 ”文化の多様化”の起源を探る」海部陽介 著 NHKBooks 日本放送出版協会2005年 to top posted by tamatama at 20:36| 進化 2012年01月17日 「強い者は生き残れない」3 「強い者は生き残れない」環境から考える新しい進化論 吉村仁著 新潮社(新潮選書) 「環境の変動」と、「形質の変化」について 「鳥はなぜヒナを少なめに育てるのか」について、短期の環境の変動と、長期の環境の変動(変化)について分けて考えてみた。 クラッチサイズと親の適応度(P127) クラッチサイズとは、鳥が一回に産む卵の数である。親の適応度とは、子孫の残しやすさである。 1)短期の環境変動に対して 鳥の産卵周期(たとえば1年)に比較して、比較的長い期間について上の適応度分布が変化しない場合、最適クラッチサイズは悪い年の値に近く、そして長期にわたって変化しない。このとき、環境はこの鳥に対して、形質の変化を促すようには働かない。 2)長期の環境変動(変化)に対して 鳥の産卵周期に比較して、長い期間について上の適応度分布が変化する場合を考える。たとえば、気候が温暖化の方向に進み、食料事情が良くなった場合、最適クラッチサイズは、徐々に大きくなっていく。このとき、鳥の繁殖は旺盛になっていくだろう。しかし、逆の場合、気候が寒冷化の方向に進んで、食糧事情が悪くなっていくと、最適クラッチサイズは、徐々に小さくなっていく。このとき、鳥はかろうじて現状を維持できる段階の産卵数になった後(=そのように産卵に関する形質を変化させた後)、さらに寒冷化に見舞われると絶滅の可能性が出てくる。 このとき、親鳥はこの場所を離れてもっと暖かい食料事情の良いところにいくことができれば、生き残ることもできるだろう。このとき、移動に十分な筋力を備えた羽を持っているか、それともか弱い羽しか持っていないかが、生死の分かれ道である。暖かい地方に移動して生き残った鳥は、それまでの鳥に比べて強い筋力を持った鳥に形質を変化させている。もし、もとの場所の鳥たちのうちに、強い筋力を持つ鳥がいなければ、その種はそこで絶滅してしまうであろう。 鳥にとっては、将来寒冷化するか、温暖化するかは未知である。ましてや、寒冷化したとき、自分の持っている羽の筋力の強弱が生き残りに影響することになるなどといったことは知る由もない。今生きている生物にとって、将来生き残ることができるかどうかは全く未知数で、運任せである。ただ、過去の祖先から受け継いできた「自己保存の本能」、「種保存の本能」とこれまでの生き残りに役立ってきた「彼ら自身の体の仕組み(遺伝子とその表現形)」に期待するしかない。 人の場合は、事情が異なる。それは、、自らの行動を、自らで決定できる部分があるからである。祖先から受け継いだ、本能の働きと、進化の過程で勝ち取った知性の働きの両方で自分自身の行動を決定していることが、他の生物と人との違いである。 to top posted by tamatama at 11:42| Comment(0) | 進化 2012年01月16日 「強い者は生き残れない」2 「強い者は生き残れない」環境から考える新しい進化論 吉村仁著 の第3部の内容をまとめた。 「『強い者』は最後まで生き残れない。最後まで生き残ることができるのは、他人と共生・協力できる『共生する者』であることは『進化史』が私たちに教えてくれていることなのである」(P229) これが、著者の主張である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第3部 新しい進化論 ー環境変動説 第10章 環境からいかに独立するか 「原始的な細菌から人間まで、あらゆる生物にとって環境の不確定性の影響を減らすことが有利であるならば、その方向に進むことは明らかだ。環境からの独立ということは、環境に依存しないで、安定して生物個体が存続できるということである。だから、環境変化・変動に対してとても強くなる。ここで重要なことは、良い環境での生存・繁殖ではなく、最悪の環境になったときの絶滅リスクを回避できるという点だ。」(P137 下線部は本文で強調の読点)(以下内容で、<>は本書の小見出し、一部編集) 環境の影響をなるべく受けないように進化した例として <多産によって多死をカバー>:バクテリア、ウィルス、ホヤ、イソギンチャク、ウニ、マンボウ、樹木(=種子が多い) <逃げる> :魚、捕食者を避ける夜行性の生物、草を求めて移動する草食動物、それを追いかける肉食動物、鳥の渡り、大陸を移動する牒 <「休眠」> :冬眠する動物、紅葉する植物、苛酷な環境に耐える胞子・種子 <体温を一定に保つ>:恒温動物は、低温でも運動・移動ができる、植物は「気孔」で温度調節している <群落という戦略>:森林は下草、低木、木など多様な相の植物が助け合っている <集団で越冬> :テントウムシ、カメムシ <育児というリスク回避>:生まれた子供を大きくなるまで育てる 魚の口内保育、哺乳類の育児嚢 第11章 環境改変 <「巣」という環境改変> :「環境からの独立には、周囲の環境を自分似合ったように改変していく方法がより有効である。集団による環境形成は、集まることによって変わる場合が多いが、「巣」は周囲を作り変えることにより、環境を自発的に変えていく糸口である。」(P156) <家という環境改変> :洞窟から家、そして都市 「住むところ、住居」に関する不確定性の低減 <農業という環境改変> :食料に関する不確定性の低減 <医療という環境改変> :悪い環境から「逃げる」ことでリスク回避、予防医学 <学習の進化> :環境の変化に対抗する <教育> :環境不確定性に対する万能の対処法(環境変化に対して教育内容を変える) <科学> :環境に変化に対する予測可能性の増大(物理学、気象科学) 第12章 共生の進化史 <協力し合って生き残る> 「共生の進化史は、環境からの独立の進化史でもある。厳しい環境変化に生物はどのように対応してきたのか? 答えは、『お互いの協力』によってである。」(P174) 「生物の進化史は真正細菌や古細菌の作る共生系の膜状の群体、バイオマットに始まり、原核生物の共生による真核生物の誕生、多数の細胞が共生した多細胞生物へと進む。そして、動物に顕著な共生細胞の組織・器官への細胞分業、陸上への進出に伴う共生の強化、熱帯雨林などの共生生態系の成立等、まさに共生の進化史である。」(本書 P174) 「この共生の進化は、どこへと発展するのだろうか?それは次章で説明するように、同種内の個体間の協力・強調行動の進化へと繋がっているのである。」(P192) 第13章 協力の進化 <生物が群れる理由> 「一般に生物個体は、同種が近くにいて、協力関係にある。植物は草原や森林を形成するので群落として協力し合い、環境を作っている。樹木や草原は、隣同士が風をさえぎり、相互に利益を得ていたり、土壌を形成して、安定環境を作っている。この仲間で作る環境は、生物の進化の初期、細菌の膜状の集合体バイオマットで、すでに実現されている。その究極の共同のひとつが、多細胞生物の進化だった。 一般の多細胞生物は、同一個体(細胞)の子孫が一体化したものといえる。その途上にあるのがカツオノエボシなどの群体である。」(P193) 「個体が協力関係を作ってスーパー個体(超個体)を形成している究極の共同関係にあるのが、社会性昆虫、アリやハチ、シロアリの社会である。」(P193) <人間社会の職業の発達と分業> :狩猟採集時代の男女の分業、農耕社会以降の士農工商の分業 <アラームコール・グループハンティング>:草原に住む草食動物の警戒行動 <交尾集団「レック」> :交尾機会を高める集団を作る共同行動 カゲロウ、セミ、秋になく虫、カエルの合唱 <一夫一婦制> :「つがい」での子育てが子供の生存率を高めた 人間社会での生産性の向上 <共同繁殖から家族へ> :鳥類に多い子育てに協力する「ヘルパー(お手伝いさん)」 日本の家父長制度 <道徳と法律> :古代からの慣習、信仰、宗教は集落協力のルール 現代の道徳、法律も共同生活のルール <民主主義は共同メカニズム> :「一人勝ち」を避ける制度 生産性の向上 第14章 「共生」するものが進化する <文明には、なぜ栄枯盛衰が起きるのか> 「それは、利益の個人占有が生じるからだと私は思っている。」(P212) 「環境からいかに影響を受けないか、つまり環境からの独立は、『所有』という概念を発達させた。」(P212) 「しかし、この所有権の発達により、利益の分配に思わぬ問題が生じたのである。」(P212) <資本主義も例外ではない> 巨大投資ファンドが短期的利益追求して、弱者を巻き込んだ金融危機を引き起こした。野放図な投資の自由化は、破滅への道である。 <ゲーム理論の瑕疵> 囚人のジレンマゲームで、数学的にいずれの場合も人間社会から見ておかしいと思える、「裏切り」が正しいとなるのはなぜか。「それはこの設定に問題があるからだ。人間社会には、裏切りを抑制するシステムがある。社会には、慣習や宗教、道徳に法律と様々なルールがあり、その社会に属する人間に共同行動を期待している。」(P220)「ゲーム理論では社会規範による制約が考慮されていない。共同行動の促進には、多くの社会規範の成立が重要な鍵を握っている。その社会規範(共同行動のルール)の進化によって、小さな集落が村や町に、そして都市から国へと巨大化できた。」(P221) 進化安定化戦略(ESS)の理論にも欠陥がある。この理論は、ある集団の中で、どのような戦略が最も有利かを判断するものである。集団全体の大きさは変わらないとしているが、実際には集団そのものの大きさが変化してゆく。これを考慮していない。集団の中で、有利な戦略をとっても、その集団(個体群、社会、国・・)が消滅・崩壊してしまっては元も子もない。 「人間社会は環境の不確定性に備えるための『協力』から始まった。それが民主主義のスタートラインのはずだった。ところが、その民主主義と両輪であるはずの自由主義が高度に発達するにつれて、様相が変わってきた。『個人の利益を最大限に追求する』ために、経済活動においては『ゲーム理論』の『ナッシュ解』が成立してしまっているのである。」(P220)一人ひとりは、最適だと思って行動しているのだが、全体としては縮小、破滅への道を選んでいる。 ゲーム理論の経済学への導入は「経済活動を、利益を追求するプレイヤー間のゲーム」(P223)にしてしまった。「勝つものがさらに勝ち、利益がさらに利益を生むというアメリカ発の市場原理主義が台頭し、瞬く間に世界を席巻した。社会規範を忘れた『強者の世界』の現出である。 そして、繁栄の利益を集めたファンドと呼ばれる超巨大資本、つまり『経済的な強者』が、さらなる利益を求めて市場を自由化し、お互いの資産の奪い合いを始めたのである。サイコロを振り続けて、勝ち続けることができないように、『強者』もいつかは負けてしまう。生物に見る繁栄と絶滅のセオリー通り、強者同士の争いは、社会全体の崩壊を導く。いつまでも誰もが発展するわけがない。」(P223) <生物資源経済学が示唆すること> 「経済学はなぜこのような間違いを起こしたのだろうか?それは、従来の経済学が富の有限性を無視したからだ。」(P223)「世界の資本(富の総計)は有限で、経済は常に成長するものではない。短期投資は、その有限な資本の奪い合いである。そして、このようなギャンブル的行為を続ければ、早晩、世界の経済活動は破壊され、現代文明は崩壊に向かうだろう。」(P228)そしてこの影響は、貧者(弱者)にも及ぶ。 「クラークは、自由競争の利益率が生物資源の再生産率よりはるかに高いことが、資源破壊の原因になっていると説明したが、全く同じことが、自由化された短期投資と従来の経済活動の間にも成り立っている。従来の経済活動ではせいぜい10%くらいの利益率が上がれば成功といえるが、ギャンブル的な短期投資では50%を越えることも稀ではない。一時的には100〜200%を超えることもあった。だから、多くの富裕な資本家にとって、すべての企業資本を売り払い、短期投資につぎ込む戦略が最適に映ってしまうのだ。」(P227) 経済活動の上前を撥ねる二重構造(P227) 「持続可能な社会を目指すならば、『黙秘×黙秘』『ハト×ハト』的な選択を取るべきなのだ。逆にいえば『自由』という錦の御旗の下に、ナッシュ解を求めていったら、絶滅しかありえないことは、約40億年の地球の生物たちの進化史が教えてくれているのである。今、『長期的な利益』のために、『短期的な利益』の追求を控え、共同行動をとるべき時なのだ。」(P228) 「『強い者』は最後まで生き残れない。最後まで生き残ることができるのは、他人と共生・協力できる『共生する者』であることは『進化史』が私たちに教えてくれていることなのである」(P229) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− to top sted by tamatama at 12:43| Comment(0) | 進化 2012年01月14日 「強い者は生き残れない」1 「強い者は生き残れない」環境から考える新しい進化論 (新潮選書) 吉村 仁著 :新潮社 面白く読んだ。環境変動説というものを知った。 (内容) 第1部 従来からの進化論 第2部 環境は変動し続ける 第3部 新しい進化理論ー環境変動説 (環境変動説について :私なりの理解) 「鳥はなぜヒナを少なめに育てるのか」 環境は毎年毎年変動する。最も気候がよく、えさの多い時にあわせて卵を産んだとしよう。もしその年、気候が悪くてえさが少なかったとすると、十分なえさが得られず産んだだけのヒナを育てられない。悪くすれば、親鳥も共倒れになってしまうかもしれない。 逆に、最も気候が悪くえさの少ない時にあわせて卵を産んだとしよう。その年は、どんなに悪くてもそれ以上気候が悪くなることはないから、産んだヒナをすべて大きく育てることができ、親も生き続けることができる。しかし、この親鳥は、いつも最小数のヒナしか育てないので、少しリスクを犯して、最悪時より少し多い卵を産む親鳥ほどは子孫を残し続けることができない。 世代を超えて、そうした生き残りが続いて、結局その地域の環境の変動に見合った卵を産み続ける親鳥集団だけが繁栄することができる。その卵の数は、気候が悪い時に育てられるヒナの数に近い。 著者は、長い世代にわたる環境の変化(変動)に対応できたものだけが生き残ることができるという。 「この環境変動の問題は、実は子供の数だけの問題ではない。前述の私の論文の重要性は、この環境変動が、『すべての形質に等しく影響を与え得る』ということを見出したことだ。それはこういうことだ。環境変動の影響は、形質の問題ではなく、環境変動を表す確率分布に依存する。だから、どのような形質についても、変動する環境の下では最適(すなわち『強者』)は決まらないのだ。」(本書 P129 下線部、本書では強調の読点) 仮に、形質Aがあったとしよう。世代が変わっても、この形質に対する環境の変動幅が少ない場合、この形質は生き残りには関係がほとんどなく、その形質は世代が進んでも変化しない。仮に、形質Bがあったとしよう。この形質に対する環境の変動幅は非常に大きく、そしてその変動の大きさがその生物の生き残りに大きな影響を与えたとすると、形質Bを持つ生物は、その環境変動に対して適したものだけが生き残ることになる。 ここで大事なことは、生物の形質と環境変動はそれぞれ多様であり、どの環境変動が発現しどの形質に影響をあたえるのかは、あらかじめ決められているわけではないことである。また、時間の進行とともに、その環境変動がどのように変化していくかもあらかじめ決められているわけでない。生物の形質変化の進行速度より、環境変動の進行速度が速い場合、生物にとってどういった形質とその程度がもっとも生き残りに有利か、あらかじめ決めることはできない。 3つの進化理論の違い 本書P131 より (私なりに、まとめると下の通り) 環境変動には時間軸があるので、ある時点で最適最強の形質であっても将来とも最適最強とは限らない。将来の環境変動が不確定なものであるので、将来どういった形質が生き残りに最適になるのかは不確定である。形質変化に、あらかじめ決められた方向性はない。(形質とは、形態とその能力、習性、本能) (もう少し、考えてみると・・・) 進化(=形質の変化)は、絶滅への道のりかも知れない。それは、当事者にはわからない。人は、他の生物と違って将来の予測をしようと努力しており、その精度をあげつつある。人が、生き残ることを最も大事なことだと考えるならば、他の生物よりは少しだけ生き残りの可能性を高くできる。 to top posted by tamatama at 20:52| Comment(0) | 進化 2011年12月20日 手の働きが頭を良くする ブルーバックス「脳の手帳 −ここまで解けた脳の世界−」久保田競(京都大学・霊長類研究所)他著 講談社 P148〜150より 一部編集して掲載 「 運動をすれば、からだ全体を使わなければなりません。そのために、脳はフル回転をするわけです。神経細胞の活動は高まり、酸素消費も増え、血液循環が増すというわけです。俗に手を使うと頭によいというのは、ヒトでは運動野や感覚野で手の占める面積がとても広くなっているからです。このために、のみや小刀を使って、細かい手作業をすれば、運動野、感覚野の広い部分を活動化させることになるわけです。 そうして、ここが大切なことですが、スポーツであれ、そうした手作業であれ、その時は精神を集中して行っていることが多いと思います。これがまた、たんに運動野だけでなく、連合野と呼ばれる、人間の知的行動を司る大脳をも活発に働かせることになるわけです。(略)<ここで、ハリーというアメリカの草野球の選手の話をしましょう。>(<>内文章と、赤字強調は私) ハリーはライトを守っていました。試合も九回の裏、一点差で味方がリードしているという場面、走者はあるが、すでにツーダン。そしてあたりも薄暗くなってくる。その時、相手のバッターがライトフライを打ちあげました。ハリーは追っかけたがもう暗いものだから、途中で球が見えなくなった。さあ、困った。と諸君なら慌てるでしょう。ところがハリーは、走りながら一瞬のうちに考えた。 「まてよ、球にいちばん近い俺でさえ、球が見えない。だとしたら、他の奴は無論、遠くにいる審判だって、決して見えっこない」 そこで、ハリーはさっと手をあげると、いかにも球をとったようなふりをして、「アウトアウトアウト……」 というなり、ベンチに向かって駈け戻ってしまいました。無論、試合は勝です。 このたとえは、あまりほめられた例ではありませんが、スポーツが判断力を養うのに絶好のものであることをユーモラスに教えています。(略) (略)ハリーの仲間が翌日、球場に行ってみたら、外野に球が一個転がっていた。そこで初めて、「あンの野郎!……」と気がついたが、後の祭りだったということでした。(松波)」 (この項の原題は、「手が器用なのと頭がいいのとは関係ある?」松波謙一:京都大学・霊長類研究所 ) 関連 :石器作りと土器作り :道具の使用と人類の進化 to top posted by tamatama at 20:48| 進化 石器作りと土器作り 世界最古の石器は、176万年のものが北アフリカで発見されている。一方、世界最古の土器は、中国南部で発見されたもので、1万8千年くらい前のものだといわれている。日本では、1万6千年前の縄文土器が最も古いとされている。人類の長い歴史で考えると、200万年くらい前に、石器を作り始め、その後、2万年くらい前に土器を作り始めたようだ。この間、198万年の間は、土器なしで暮らしてきた。 なぜ、土器作りはこんなにも遅れたのであろうか。 (土器作りの難しさ) 石器作りに比べると、土器作りは格段に難しい。石器作りは、原材料から加工するだけで材料の性質を変えるわけではない。しかし、土器作りには、粘土から焼き物へ質的に違ったものにするという、困難さがあった。やわらかい粘土で容器の形を作り、それを乾燥させ、熱を加えて焼き固めるといった多くの工程を必要とし、望みどおりの甕や皿を完成させるには、お互いに関連しあっているそれらの条件がうまく適合しなければならなかった。 石器作りは、出来上がりのイメージを頭に描き、それに近づくよう原材料を加工する一方的な作業の繰り返しであった。作業としては、単純で、失敗も多かったろうが習熟の速度もはやかったであろう。また、それを他の仲間に伝えるのも、簡単であった。しかし、土器作りは、土の性質、水との混合割合、練り具合、器の製作方法、形、厚み、乾燥程度、焼成方法、温度、焼成時間など条件が極めて多い。その工程も複雑である。仲間にその方法を伝えるのは容易ではなかった。 (土器は定住生活になってから求められた) 土器は、煮炊きや貯蔵に使われたと考えられる。狩猟・採集が主であった時代、煮炊きのために土器を使うことは考えられるが、移動の際には重くて荷物になった。貯蔵のためにわざわざ重い土器を持ち歩くのも現実的ではない。土器を使う生活は、定住が前提であったろう。石器を使っていた人々が、ある程度、定住生活を続けるような生活スタイルに変化するには、相当の年月が必要だったと思われる。 (複雑な土器作りには、高い能力が必要だった) 石器を作り始めた人々は、その作業を行うことで自らの体の筋肉、骨組みなどを発達させていった、同時に、感覚能力、作業能力、そして完成品をイメージする能力、失敗を次に生かす学習能力などを少しづつ高めていった。ヒトの能力が低い段階では、土器作りはできなかったと思われる。 (まとめ) まとめると、土器作りが石器作りより200万年以上遅れたのは、 1)土器作りが本質的に、難しかった、 2)定住生活になって、はじめて土器の使用が求められた 3)石器を作り始めた猿人の段階では、能力的に難しかった、 ためと思われる。 (資料) ヒトの脳の進化 人間の脳の歴史 剰余細胞:体を維持したり、動かしたりするのに必要不可欠な細胞を差し引いた残りの神経細胞の数で、知能に関係すると考えられている。(剰余細胞のホモ・エレクトスの項、数字84と、現代人の項、数字84−89は、表になかったので、私が記入した) 出典:ブルーバックス「脳の手帳」ここまで解けた脳の世界/久保田競 著 講談社 P247 石器を作り始めた200万年前の猿人の脳は、500〜600mlで、2万年前に土器を作り始めたホモサピエンスの1330mlに比べ、約半分であった。また、剰余細胞についても、約半分である。この頃の猿人は、まだ脳が未発達で、複雑な土器つくりは難しかったかもしれない。この後、100万年以上の時間を費やして、ホモ・サピエンスへと進化してゆく。 参考までに、現代のヒトの誕生から成人までの脳の重量を示す。誕生時、400g、6ヶ月で800g、4〜5歳で1200g、20歳成人で1250〜1450gになる。この重量増加のほとんどが、大脳皮質によるもので、先に感覚野、運動野が発達し、記憶・認識・知能に重要と思われる連合野の完成は比較的遅く、特に前頭連合野の完成は20歳になってからである。 to top posted by tamatama at 17:06| 進化 2011年12月19日 道具の使用と人類の進化 ヒトは、なぜ石器を作るようになったのだろうか。人類の歴史と、その生活を追ってみた。 人類の歴史 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 名称 時期 特徴・生活 猿人 アウストラロピテクス・ アファレンシス 300〜200万年前 直立二足歩行 (アフリカ) 道具の使用(枝、加工しない石?) 260万年前 最古の石器/石の薄片主体 (アフリカ) ホモ・ハビリス 200万年前頃 草原で植物・根菜類採取 (アフリカ) 穴居性の小動物を狩猟 176万年前 握斧発見(ケニア北部) 皮を剥ぐ、肉を切る等の万能道具 原人 ホモ・エレクトス 150万年前頃 礫器使用・洞穴/天幕シェルター ・ジャワ原人 大型獣狩猟・毛皮 ・北京原人 火の使用で調理(北京原人) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 旧人 ネアンデルタール人 15〜10万年前 用途別の薄片石器 葬式をしていたらしい −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 新人 クロマニヨン人 4〜3万年前 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 世界最古の石斧 (176万年前、ケニア北部) 写真 ネイチャー (樹上生活をしていたヒトの祖先:猿人以前) 猿人の前の段階、ヒトの祖先は樹上生活をしていた。木の実を取ったり、時には小さな動物を捕まえて食べていたのだろう。樹上生活では、手と足が別々の働きをする必要があったため、もっぱら草原を走っている動物とは形態的に異なる発達をした。木の実を取ったり、皮をむいたりする作業がますます手の働きを強めた。木から下りた時、足はおもに移動のために、手はおもに作業のために使われるようになって、歩行時の姿勢が立ってきたのだろう。手が発達してできるようになった、小さな食べ物を選り分け、皮をむき、それを手で口に運ぶ作業は頭を立てる傾向を強めた。当初は座って行うことが多かったこの作業を、立って行うためには、体のバランスを取る必要上、前かがみでは倒れてしまうのため、直立する傾向を一段と強めた。 (草原で道具を使い始めた:猿人以前) 数百万年もかかって、徐々に形態的に変化していった。木の上から草原へ下りたきっかけは、アフリカの気候変化による森林の減少だともいわれているが、確かなことはわかっていない。草原に下りた時は、今のオランウータンやチンパンジーのように、もっぱら手の甲と足を使って移動し、作業を立ってすることもできるといった状態だったのかもしれない。しかし、ヒトの祖先は、草原に下りて積極的に手を使い食料獲得に挑んだ。高いところの木の実を叩き落すために木の棒を使ったり、左手に持った木の枝で。穴の中の小さな動物をつついて、飛び出たところを右手で持った石でガツンと叩いてしとめた。道具は、加工されない自然のままのものであった。しかし、専用の棒や専用の石ができてきて、保管したり持ち歩いたりすることもあったかもしれない。 (手ごろなものを道具にしていた:猿人) こうして、草原に降り立ったヒトの祖先は二足歩行をするようになった。木の実を取って、それを自分の住家に持ち帰る作業は、長時間の二足歩行が必要であった。もう、手を使って歩くことはなくなった。草原に下り立って何百万年も過ごしたあと、いつの段階で猿人といわれるものになったのかは分からない。しかし、もう後戻りはできなかった。アフリカの猿人は、強い牙も持っていなかったし、手足の爪も獲物を捕るようには発達しなかった。その代わり、”直立”二足歩行という、武器をもった。その手で、長い硬い棒を自由に振り回し獲物を叩き殺すことができたし、ゆっくり動く動物は手に持った石で叩き殺すことができた。早く動く動物は、石を投げつけることでしとめることができた。 (石器を作り始めた:猿人から原人へ) しとめた動物は、手では解体できなかった。そこで、鋭利な角をもつ石で皮を切り裂き、肉を解体するようになった。はじめは、手ごろな石を使っていたが、石を取り替えるうちに切り裂き性能のいい石が固定されていき、専用となった。石の形態がわかれば、そういう石を作ってみようということになろう。こうして、石器が作られるようになった。石器つくりは、複雑な作業であるため、ヒトの手の働き、そして頭脳の働きをこれまでと違った速度で高めていった。ヒトの祖先は、原人となりアフリカを出て行った。 (道具の使用が、ヒトを作った) ヒトは、ある日突然直立二足歩行を始めたわけではない。道具を使い始めた時、二足歩行への道のりを歩み始めた。そして、道具の使用と、二足歩行はお互いに影響しあって、お互いのレベルを上げていった。道具は、ますます精緻なものになっていき、同時にヒトの手の働きは複雑なものに対応できるようになった。頭脳は、複雑な形状、工程に対応できるものになっていった。そのレベルアップの速度は、加速度的に速くなっていった。 to top posted by tamatama at 15:37| 進化 2011年06月02日 進化は偶然の積み重ね 1)生物の進化は、何か完成されたものに向かって進んでいるわけではない。 2)生物の進化は、何十億年の間の偶然の変化の積み重ねであって、その変化の仕方に目指す方向や目的があったのではない。 3)今の生物界の全体像は、生物が個体保存と種の保存の本能を徐々に強くしていった進化の過程の結果である。生命の誕生の当初から、個体保存と種の保存の本能が強かったわけではない。(個体保存の本能、種保存の本能という言葉も、生き残った私たちの付けた後付の言葉である。) 4)生物は、進化の過程で個体保存の本能と、種保存の本能を強くしていった。そうなった今、生物は、個と全体(種)が生き残るにはどうすればいいかというプロセスを踏んでいるだけである。(重ねて言うが、プロセスを踏んでいるだけで、何か完成されたものに向かって進化しているということはない。) 5)知性を持つにいたった人は、自分たちの行動を自分たちで決定することが出来るようになった。本能により選ぶ生き残りプロセスのほかに、自ら考え選択した生き残りのプロセスをとることも出来るようになった。これまでの、進化の財産である本能と、これも進化の財産である知性の二つを併せ持ったことが、他の動物と一線を画す「レベルアップ」した点である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 2)について ・人は、進化の結果、体の形態も機能も複雑になったが、それは生き残りに有利な機能を強化させてきた結果である。人はさらに免疫システムを強化してがん対処機能を持つように進化することもあるかもしれない。 4)について ・腎がんは他のがんに比べて進行はゆっくりであるようだ。腎がんは何億年も前からあったのだろう。そのころは進行の早いものも遅いものもあったのだろう。しかし、進行の早い腎がんは、その個体を早く死滅させてしまうため生き残ることが出来ず、結局ゆっくり進行する腎がんが多く残った。 ・人が、生物界の進化の最終の姿とは思っていない。人が徐々に個体数を減らし滅亡した後にも、まだ生き残っている生物があるだろう。人は、生物の長い歴史の中のほんの一コマに登場する種に過ぎない。 5)について ・国と国の争いを戦争(殺し合い)によらず、外交(話し合い)によって行うことが出来る。 ・地球温暖化による地球環境の悪化について、人は自ら考え判断しその対処を取ることが出来る。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 参考「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス (この本を読んで、「今、私があるのは生物の進化の単なる結果である」と考えるようになった。) to top posted by tamatama at 12:09| 進化 2011年03月24日 争っていては生き残れない 私たちの能力、本能は、生存競争に勝ち残ってきたものが徐々にその傾向を強めてきたものである。はじめは、無性生殖、細胞分裂で子供(子孫)をたくさん作って数で生き残りに勝ち抜こうとしたが、自然の環境変化に対応するためには、広い可能性を持つことが生き残りに向いているために、有性生殖でバラエティのある子供(子孫)を作るようになった。私たちの子供が少しづつ違うのは生き残りに有利であるからだが、どの性質が有利であるかは時代、時代で違う。 遠い昔、猿人の段階では、果実をたくさん採集し、時には他の仲間の果実をも横取りできる、体が大きく争いに強いものが生き残りに有利であり、そのような性質が強まっていったであろう。いつも横取りをしあって傷つけあったり殺しあったりする猿人グループと、仲間同士では争いを避け傷つけあったりすることのない猿人グループでは、争いを避けるグループのほうが、個体数と体の健康を維持できるため子供をたくさん作ることが出来、グループが大きくなっていったであろう。さらに、争いを避けるだけのグループと、争いを避けることはもちろんであるが仲間同士で果実を積極的に融通しあうグループがあるとしたら、後者のほうが子供をたくさん作りグループを大きくしていったに違いない。 家族を愛し、さらに同じ仲間で助け合う気持ちや行動はこんなふうにして強まっていったのだろう。個体保存の本能と、種保存の本能は所与のものではなく、このようにして結果として強まっていった本能である。協働の本能も同様に生き残りに有利であるから結果として強まっていった本能である。 争いを避ける知恵を育み、そして実行に移すことが出来るグループのみが生き残ることが出来、そしてグループを大きくすることが出来る。内戦は国の衰退を招き、国家間の争いは種の衰退を招く。私たちの遠い子孫は、私たちよりもっと争いを避ける本能を身につけているに違いない。そんな生き残りグループなのだから。 to top posted by tamatama at 12:38| 進化 2010年09月17日 人の進化 地球は45億年前に誕生し、生命は35億年前に生まれ、数千万年前に類人猿になり500万年くらい前に猿人になったとされている。その後、猿人から、原人、旧人を経て私たちホモサピエンスとなった。 生命の誕生から人が生まれるまでに何十億、何百億世代もの生命の世代交代が繰り返された。新たに生まれた種もあったろうし、どこかで途絶えた種もあったが、その中で私たち人はうまく生き残ってここまで来た。 単細胞生物が多細胞生物になり、哺乳類となり人となった道筋は遺伝子の変化の道筋でもある。この変化の道のりは、何に支えられて来たのだろうか。環境など外的な要因でその道筋が決定されたのだろうか。それとも、外的なものではなく内在的な進化の法則のようなものがあったのだろうか。 人の進化の道筋は、生物が世代交代しながら営々と、個体保存と種の保存の「努力」を繰り返してきた道筋だ。外的な環境変化が幾通りもあった道のりを決定したとも思える。その時現れた幾通りもの道筋を作る際に、内在的な進化の法則が働いていたようにも思える。 こんなことを考えるのは、人だけだ。猿も、犬も猫も自分がどうして自分に成ったかなど考えてもいない。私は、自分の安心のためになぜ、どうして自分が自分に成ったのか答えが欲しい。35億年の生命の歴史の中での自分の位置づけをしっかりと見据えたい。 to top |