新見市神郷町 油野地区 青柳川 現地訪問
(08.10.13訪問)

青柳川中流の「亀ヶ原」でかって、たたら製鉄がおこなわれていたとのことで訪問した。

1)青柳川中流、上流にかなくそが落ちていた。、かなくそ捨て場があった。
2)青柳川上流の民家近くに、3か所たたら製鉄がおこなわれていた場所があった。(地元の方の情報)
その一つは、かってはたたら炉の底部(固く敷き詰めた部分)があったが今は埋めてしまったとのこと。
3)青柳川の最上流部には、大量のかなくそが捨ててある場所があった。さらにここは、鉄穴流しの土砂採取地のような地形になっている。青柳川でも鉄穴流しが行われていたと思われる
4)亀ヶ原のたたら稼業地は、今は公園になっている。かなくそを見つけた。

参考 阿哲郡における近世、明治、大正期のたたら操業の記述(阿哲郡誌 抜書き)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(青柳川に落ちているかなくそ)
 
かなくそ その1


かなくそ その2

この場所の川左岸平地は、かなくそ捨て場になっており、土の下5cmほど掘るとかなくそがたくさん見つかった。

(上流民家近くのたたら稼業地)

たたら稼業地 
たたら製鉄炉があったが埋めてしまったとのこと。斜面の石垣には石に交じって、かなくそが使われていた。

地元の方にお話を伺った。
1)ここには、たたら製鉄炉の底部が残っていた。馬が、落ちたので埋めてしまったとのこと。リンゴ畑のあたりには、大量のかなくそが山のように積まれていた。
2)この近くには、3か所たたら稼業地があった。一つは下のほう。一つはちょっと上のほう。川には、かなくそがごろごろあり、今でも20cmくらいのかなくそは簡単に見つかる。
3)かなくそには、たたらのものと鍛冶屋のものとがある。鉄が、まだ残っているものと、そうでないものの差だ、とのこと。(見分け方を教えてもらおうとしたが、要領を得なかった。)
4)ずくがある。
 
ずく 長さ50cm
高温でも溶けないので、炭焼き釜を作る際に基礎にした、昔は、これを買うこともあったとのこと。阿哲郡誌に「大正期になると、銑鉄は他所から購入した」とあるので、そのことに対応するのであろうか。

(青柳川最上流のたたら製鉄稼業地)

最上流に、かなくそが道路に敷き詰められているところがあるとのことで行ってみた。

かなくそが、多量に落ちていた道路付近
鉄穴流しによる土砂採取あとのような地形であった。


道路のかなくそ 

(亀ヶ原たたら稼業地)
帰りに亀ヶ原に立ち寄った。公園になっていたが、山側の遊歩道に入るとかなくそが落ちていた。

かなくそ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
青柳川では、中流から上流にかけて 少なくとも6か所のたたら製鉄稼業地があった。確実なのは、民家前の場所と、亀ヶ原。あとはかなくそ散在地があったのが2か所。2か所は情報のみ。言い伝えで残っているので、比較的最近(江戸後期以降)のことであろう。
同時期ではないのだろうが、、あちこちでやっている感覚はこれまで私が持っていた感覚と異なる。鉄山師がいて、たたら集落を作り大がかりに製鉄を始めるといった印象ではなく、ちょっと小屋でも建ててたたらを吹いてみるかといった感じだ。

(08.10.16)



岡山のたたら製鉄

表紙へ