鉄穴流しによる砂鉄採集方法(その3) 鉄穴流しが始まったのは、いつごろか調べた。 (鉄穴流しの開始) 鉄穴流しがいつ頃、どこで始まったかはよく分らなかった。以下、断片情報をつなぎ合わせた私なりのまとめ。 戦国時代の武器としての鉄の需要増、戦国大名の領国経営での農業の奨励による鉄農具の普及、更には江戸初期の活発な新田開発に伴う鉄農具の普及が鉄生産の効率化を求めた。この時期に、炉の改良、送風装置の改良そして原料の砂鉄採取方法の改良が進んだ。1610年には、竪穴掘りも、鉄穴流し(流し堀法)も行われていたとあるから、時期としてはこれ以前に鉄穴流しが始まったことは確か。室町時代の終わりくらいに鉄穴流しが山砂鉄の多い中国地方で始まったのではないだろうか。 竪穴堀でも、土と砂鉄の分離ははじめは、ざるのようなもので行っていたが、その後、葦などで編んだすのこやむしろを敷いた樋に土砂を流して行うようになった。樋に流して分離する方法を大規模に連続して行おうとするのが鉄穴流し(流し堀法)となった。それとも、南蛮渡来か! −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 表 鉄穴流しは何時はじまったか、どのように発展したか
(1)「鉄の語る日本の歴史(上)」飯田賢一 そしえて 1976年 P57、P80 (2)「採鉱と冶金」(講座・日本技術の社会史 第5巻)甘粕健ほか編 日本評論社 1983年 P75、 P77 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「鉄の語る日本の歴史(上)」から抜書き 日本霊異記 (820年ごろ) 「美作の国英多の郡の部内に、官(おおやけ)の鉄(くろがね)を取る山有り。帝姫阿部の天皇の御代に、其の国の司、役夫十人を召し発(あ)げて、鉄山に入れ、穴に入れて鉄を掘り取ら令む。時に山の穴の口、忽然(たちまち)に崩(く)え塞がり動く。役夫驚きて恐りて、穴より競ひ出で、九人僅(わずか)に出づ。一人後れて出づる有り。彼(そ)の穴の口塞がり合ひ、留まる。国の司上下、圧れて死ぬと思ふが故に、惆(うれ)へ悵(かな)しぶ。」 ・・・・美作の国で、山に竪穴を掘っていると穴が崩れて1人埋まってしまった話。・・・この人は、仏の力により助かったと、この話は続くらしい。 (08.5.7) |