兵庫県宍粟市 千種地区 現地訪問
(08.9.20 訪問)

千種地区は、かってたたら製鉄が盛んだったところで、たたら製鉄集落の遺構が残る「天児屋(てんごや)鉄山」で知られている。天児屋鉄山は千種川上流にあり、その支流である河内川上流には三室鉄山があった。

1)河内川で、かなくそを採取した。河内川上流にたたら製鉄稼業場があったことを示す。
2)採取地点近くで、水路跡を発見した。鉄穴流し遺構と思われる。

(かなくそ採取)
1)河内川下流に大きな滝(燗鍋ノ滝:かなべのたき)がある。その滝下でかなくそを採取した。

滝下で採取したかなくそ
磁石つかない

2)さらに河内川上流の川の中から、かなくそ採取した。(三室山登山口の看板のある三叉路の200m下流。)

川で採取したかなくそ
右上 磁石つく。
そのほか、磁石つかない。

3)千種川上流でのかなくそ採取
天児屋鉄山の山内遺構からさらに上流でも、かなくそを拾うことができた。
(たたらの里学習館の1km上流。水がきれい。)


(水路跡の発見)
かなくそ採取2) の場所の谷川に沿って、幅10〜15mの平地がある。そこに、水路跡があった。
西粟倉村で見た水路と同様で 側面は石積みで補強され長さ10〜15m、幅60〜60cm、深さ30〜50cmで、直列に3本ありそれぞれの下流端に、崩れているが石積みの堰があったように見える。

  
一番上流の水路と崩れた堰 その1
30分かけて、土を除いた。


一番上流の水路と崩れた堰 その2 (その1と同じところを角度変えて撮ったもの)

  
左 2番目の水路 側壁の石積みがよく残っている              
右 3番目の水路 杉小枝で埋まっている  

(聞き取り)
河内川下流の集落で、古老に話を聞いた。

1)たたら製鉄は、河内川上流域で2か所で行われていた。一つは、三室山登山口看板を左へ鳥取方面へ登ったところ。もう一つは、河内川上流の登山道の右岸側尾根ひとつ越えた谷奥。口で言っただけでは、わからんだろうなあ。モミすりの最中でなければ連れて行ってあげるんだがな。谷奥はまだ、手つかずだから、かなくそが山になっているだろう。
2)かんな流しも行われていた。井手跡も2か所ある。やまの奥だから、わからんだろうな。

(鉄砂仕上げ場遺構の例)
このあと、天児屋たたら山内遺跡のある、「たたらの里学習館」を訪ねた。
本2冊購入。
「たたらと村 −千草鉄とその周辺− 」 鳥羽弘毅 著 平成9年 ・・・@
「たたらと村と百姓たち −千種鉄関連資料集−」 井口二四雄  鳥羽弘毅 著 昭和58年  ・・・・A

この本に、千種地区内の鉄穴流しの遺構の写真があった。
西粟倉村の大海里川沿いの水路跡、また今回の河内川水路跡はこの写真とよく似ている。
(大茅と千種は、同じ鉄山師が経営に携わったり、原料のやり取りなど関係が深い。技術も、同じように水平展開されていたろう。)



天児屋笹ケ谷鉄砂仕上げ場 @のP93

  
天児屋鉄砂仕上げ場跡 Aの口絵
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西粟倉村の水路跡、今回見た水路跡どちらも、土と杉小枝に埋まっており石積みも崩れかけている。
きちんと土を除き、寸法など測りたいが 一人では大変。興味ある方がいれば、案内します。スコップ、軍手持参のこと!


(08.9.22)




岡山のたたら製鉄

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